正法眼蔵随聞記 トップページへ
正法眼蔵随聞記第一
侍者懐奘編
一
一日示して云く、続高僧伝の中に、或禅師の会下に一僧あり。金像の仏と亦仏舎利とをあがめ用ひて、衆寮等にありても常に焼香礼拝し恭敬供養しき。有時禅師の云く、
汝ぢが崇る処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらんと。其の僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す処なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば
、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く、汝箱を開て是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、
仏像舎利は如来の遺像遺骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰ひて得悟すべしと思はゞ還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。
仏説の功徳は定まれる事なれば、人天の福分となること生身と等しかるべし。総じて三宝の境界を恭敬供養すれば罪滅び功徳を得、また悪趣の業をも消し、
人天の果をも感ずることは実なり。是によりて法の悟りを得んと思ふは僻見なり。仏子と云は仏教に順じて直に仏位に到る為なれば、只教に随て工夫弁道すべきなり。
其の教に順ずる実の行と云は即今の叢林の宗とする只管打坐なり。是を思ふべし。
訳
「続高僧伝」に書いてあることである。或る禅師の弟子がいた。彼は釈迦の仏像と遺骨(舎利)を敬っていた。看読寮でも常に香をたいて、仏像・舎利を供養していた。
それを見ていた師は言われた「お前があり難く敬っている仏像・舎利は、やがてお前のためによくないことになる。」しかし、弟子は聞き流して承服しなかったので、
さらに言われた。「そのようのものには天の魔物が取りつく、早く捨てなさい。」弟子は怒って出て行こうとしたので、その背後から師は言われた。
「仏像・舎利がはいっている箱を開けてみなさい。」弟子はその通りにすると、箱には毒蛇がとぐろを巻いていたという。この話の意味するところは、
仏像・舎利は釈尊の遺影であり、遺骨であるので、恭敬して悟りを開くことができると思うなら、それは却って、間違った考えである。魔物や毒蛇の虜になる因縁になる。
釈尊の説かれた教えには、仏像や舎利を供養すれば功徳があると言われている。仏像や舎利の礼拝供養が人間界・天上界で幸せを得る因縁となるのは、
存命中の釈尊を恭敬することと同じである。総じて、仏・法・僧の三宝を敬えば罪を滅ぼし功徳を得ることができる。また、地獄・餓鬼・畜生・修羅に生まれることの悪業をも消し、
人間界・天上界に生まれる果報を受けることができる。だが、仏像・舎利を恭敬すれば悟りが開けると思うことは、間違った考えである。
仏弟子は仏の教えに従って、ひたすら修行しなければならない。それは禅堂で、ひたすら、坐禅することである。このことを、よくよく考えなさい。
二
亦云く、戒行持斎を守護すべければとて、強て宗として是を修行に立て、是によりて得道すべしと思ふも、亦これ非なり。只是れ衲僧の行履、仏子の家風なれば、随ひ行ふなり。
是れを能事と云へばとて、必ずしも宗とする事なかれ。然あればとて破戒放逸なれと云には非ず。若亦かの如く執せば邪見なり、外道なり。只仏家の儀式、叢林の家風なれば、
随順しゆくなり。是を宗とする事、宋土の寺院に寓せし時に、衆僧にも見へ来らず。実の得道のためには唯坐禅工夫、仏祖の相伝なり。是によりて一門の同学五眼房故葉上
僧正の弟子が、唐土の禅院にて持斎をかたく守りて戒経を終日誦せしをば、教て捨てしめたりしなり。
懐奘問て云く、叢林学道の儀式は百丈の清規を守るべきか。然あれば、彼れはじめに受
戒護戒を以て先とすと見へたり。亦今の伝来相承は根本戒をさづくとみへたり。当家の囗訣、面授にも、西来相伝の戒を学人にさづく。是便ち今の菩薩戒なり。
然あるに今の戒経に日夜に是を誦せよと云へり。何ぞ是を誦するを捨てしむるや。
師云く、しかなり。学人最とも百丈の規繩を守るべし。然あるに其の儀式は受戒護戒坐禅等なり。昼夜に戒経を誦し専ら戒を護持すと云は、古人の行履に随て祗管打坐すべきなり。
坐禅の時何れの戒か持たざる、何れの功徳か来らざる。古人行じおける処の行履、皆深き心なり。私しの意楽を存ぜずして、衆に随ひ古人の行履に任せて行じゆくべきなり。
訳
また、道元禅師が教えて言われた。
戒行(戒律に従った行い)や持斎(一日一回の正午の食事)は護らなければいけないが、これを護ることのみ行って、悟りを得られるということは間違っています。
戒行・持斎は禅の修行者が今まで行ってきたことであり、仏弟子の家風であるので従うべきです。しかし、戒行・持斎のみを、ひたすら行うのは間違いです。
また、戒行・持斎を護らないで、勝手に振る舞うのが良いとは言えません。
かって、私が宋国の禅院で修行していた時、戒行・持斎を一番の目標としている修行者がおられました。
本当の悟りを得るには、ただ坐禅を行うだけで良い。このように仏祖は教えられたのです。
私と同門の五根房は故葉上僧正栄西禅師の弟子です。彼が唐の禅院で修行していた時、戒行・持斎を護って戒律の書かれている経典を一日中、称えていました。
私はこの様なことをしていても悟りは得られないと言ってやめさせたことがありました。
さらに懐奘が尋ねました。
禅院で仏法を修行するためには百丈禅師が著された百丈清規(しんぎ)を護るべきかと存じます。百丈清規には受戒・護戒をもって先にすると書かれてあります。
また根本戒を授けるとあります。
禅家では師匠が弟子に教えを伝えるには口伝によると、インドから伝えられてきたことです。戒律が書いてある経典には、日夜経典を称えなさいと書いてあります。
どうして戒律を称えることをやめさせるのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
その通りである。修行者は百丈清規を護らなければならない。ところで百丈清規に記されているのは、護戒・坐禅である。戒律を護ると言うことは、
ひたすら坐禅すべきことなのである。坐禅をしている時は戒律を護っていることを意味します。また、功徳が得られることを意味します。
昔の修行僧が行ってきたことは深い意味があることであるから、そのことを自分勝手に変えたりしてはなりません。
ただ、同朋と共に昔の修行僧が行ったことに従って修行していくべきです。
三
有時示して云く、仏照禅師の会下に一僧ありて、病患のとき肉食を思ふ。照是を許して食せしむ。ある夜自ら延寿堂に行て見たまへば、燈火幽にして病僧亦肉を食す。
時に、一鬼病僧の頭べの上にのりいて件の肉を食す。僧は我が口に入ると思へども、我は食せずして頭上の鬼が食するなり。
然しより後は病僧の肉食を好むをば鬼に領ぜられたりと知て 是を許しきと。是につゐて思ふに、許すべきか許すべからざるか斟酌あるべし。
五祖演の会にも肉食のことあり。許すも制するも古人の心皆其意趣あるべきなり。
訳
道元は教えて言われた。
仏照禅師の弟子に或る僧がいました。その僧が病気になった。栄養をつけて、早く治そうと思ったので、肉を食べたいと仏照禅師に許しを求めたので、許した。
ある時、仏照禅師が僧の様子を見るために、僧の居室へ行った。病気の僧が肉を食べていたが、実際は魔物が僧に取りついて、魔物が肉を食べているのを見られた。
このことは僧の心が魔物に乗っ取られたことを意味するのである。
この事について思うに、弟子の要望を許すか否かは、よくよく考えなければならないのである。同じようなことが、五祖演の僧団に於いて肉食について書かれています。
弟子の要望を許すか許さないかは、師匠はよくよく考えて判断すべきである。
四
一日示して云く、人其家に生れ其道に入らば、先づ其家業を修すべしと、知べきなり。我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修するは即ち非なり。
今も出家人として便ち仏家に入り僧侶とならば須く其業を習ふべし。其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてて知識の教に随ふなり。其大意は貪欲無きなり。
貪欲なからんと思はゞ先づ須く吾我を離るべきなり。吾我を雕るゝには、無常を観ずる是れ第一の用心なり。世人多く、我はもとより、人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり。
然あれども能も云はれ思はれざるなり。次第に我執を捨て知識の言に随ひゆけば、精進するなり。理をば心得たるやうに云て、さはさにあれども我は其事を捨ゑぬと云て、
執し好み修するは、弥よ沈淪するなり。禅僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば自然によくなるなり。
訳
ある日、道元禅師は教えて言われた。
人は各自の家に生まれて、その家業を修めて、身につけねばならないと、知るべきです。家業でない自分の身の丈に合わないことを学ぶことは心得違いと知るべきです。
俗人が出家して仏門に入ったならば、僧としての修行をしなければなりません。そのやり方は、我執を捨てて、師の教えに従うことです。
そのために貪りの心をなくさねばなりません。また、我執を捨てねばなりません。そのためには、無常を観ずることが第一の心得です。
世間の人は、自分が他人から善い人間だと思われようとするものですが、思うようには善い人間であると思われないものです。よく思われようとするのも執着の心です。
師の教えに従っていけば、次第になくなるものです。
俗人の中には、世間の道理が良くわかっているという人がいますが、その道理に執着していたら、益々悟りは得られないのです。
禅僧が立派になるのは、ただひたすら坐禅することです。賢いか愚かであるかは関係ありません。ただ坐禅することが一番大切なことです。
五
示して云く、広学博覧はかなふべからざることなり。一向に思ひ切て止べし。唯一事につゐて用心故実をも習ひ先達の行履をも尋ねて、一行を専らはげみて、
人師先達の気色すまじきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
広く学び、広く書を読むことは一人の者では限りがあります。そのような事をすることは諦めることです。ただ一事を学ぶと決めて、これはと決めた先人の行ったことを習い、
これ専一に修行に励みなさい。その結果、悟りが得られたからといって、師匠のように振る舞ってはいけません。
六
或時奘問て云く、如何是不昧因果底道理。師云く、不動因果なり。云くなんとしてか脱落せん。師云く、因果歴然なり。云くかくの如くならば因果を引起すや、果因を引起すや。
師云く、総てかくの如くならば、かの南泉の猫児を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず便ち猫児を斬却しおはりぬ。後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり。亦云く、
我れ若し南泉なりせば即ち云べし、道ひ得たりとも便ち斬却せん、道ひ得ずとも便ち斬却せん、何人か猫児をあらそふ、何人か猫児を救ふと。大衆に代て云ん、既に道ひ得ず、
和尚猫児を斬却せよと。亦大衆に代て云ん、和尚只一刀両段を知て一刀一段を知らずと。奘云く、如何是一刀一段。師云く、猫児是。亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、
大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまし。古人の云く、大用現前して軌則を存ぜずと。亦云く、今の斬猫は是便ち仏法の大用現前なり。或は一転語なり。
若一転語にあらずば山河大地妙浄明心と云べからず。亦即心是仏とも云べからず。便ち此一転語の言下にて猫児即仏身と見よ。亦此詞を聴て学人も頓に悟入すべし。
亦云く、此斬猫児即是仏行なり。喚で何とか云べき。云く、喚で斬猫と云べし。奘云く、是れ罪相なりや否や。云く、罪相なり。奘云く、なにとしてか脱落せん。云く、別別無見なり。
云く、別解 脱戒とはかくの如を云か。云く、然り。亦云く、たゞしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ。
奘間て云くヽ犯戒の語は受寉已後の所犯を云かヽ唯亦未受已前の罪相をも犯戒と云べ
きか。如何ん。師答て云く、犯戒の名は受後の所犯を云べし。未受巳前所作の罪相をば只罪相罪業と云て犯戒と云べからず。
問て云く、四十八軽戒の中に未受戒の所犯を犯と名くと見ゆ。如何ん。
答て云く、然らず。彼は未受戒の者、今ま受戒せんとする時所造のつみを懺悔するに、今の戒にのぞめて、前に十戒等を授かりて犯し、後ち亦軽戒を犯ずるをも犯戒と云なり。
以前所造の罪を犯戒と云にはあらず。
問て云く、今受戒せんとする時、まへに造りし所の罪を懺悔せんが為に、未受戒の者に十重四十八軽戒を教へて読誦せしむべしと見へたり。
亦下の文に、未受戒の前にして説戒すべからずと。此の二処の相違如何。
答て云く、受戒と誦戒とは別なり。懺悔のために戒経を誦するは猶是念経なり。故に未受者戒経を誦せんとす。彼が為に戒経を説かんこと咎あるべからず。下の文に、利養の
為のゆゑに未受戒の前にして是を説ことを制するなり。今受戒の者に懺悔せしめん為には最も是を教ゆべし。
問て云く、受戒の時は七逆の受戒を許さず。先の戒の中には逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何ん。
答て云く。実に懺悔すべし。受戒の時許さゞることは、且く抑止門とて抑ゆる義なり。亦上の文は、破戒なりとも還得受せば清浄なるべし。懺悔すれば清浄なり、未受に同か
らず。
問て云く、七逆すでに懺悔を許さば、亦受戒すべきか。如何ん。
答て云く、然あり。故僧正自ら所立の義なり。既に懺悔を許す、亦是受戒すベし。逆
罪なりとも、くひて受戒せば授くべし。況や菩薩はたとひ自身は破戒の罪を受とも、他の為には受戒せしむべきなり。
訳
訳者から一言。
この章は道元禅師の説明も難解ですし、それを訳する私の力量もたりませんので、大部分を省略して、簡単に訳しました。
懐奘が問うた。
因果をくらまさずとはどういうことでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
不動因果である。因果は一時に現れているのである。さらに言われた。南泉和尚が猫の子を斬り殺してしまったのは、弟子たちが南泉和尚の問いに答えられなかったからである
懐奘はさらに問うた。
戒を犯すというのは、戒を受けた以後に戒を犯した場合を言うのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
その通りである。犯戒というのは受戒以後に戒を犯した時である。また、七逆罪の者でも懺悔したら受戒させるべきである。
七
夜話に云く、悪口を以て僧を呵嘖し毀呰すること莫れ。設ひ悪人不当なりとも左右なく悪くみ毀ることなかれ。先づいかにわるしと云とも、
四人已上集会しぬればこれ僧体にて国の重宝なり。最も帰敬すべきものなり。若は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、
弟子不当ならば慈悲心老婆心にて教訓誘引すベし。其時設ひ打べきをば打ち、呵嘖すベきをば呵嘖すとも、毀眥謗言の心を発すべからず。先師天童浄和尚住持のとき、
僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを誡しむるに、履を以て打ち謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるるを喜び讃歎しき。有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、
今は衆を辞し菴に住して老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各の迷を破り道を授けんがために住持人たり。是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、
竹箆打擲等のことを行ず。是頗る怖れあり。然あれども、仏に代て化儀を揚る式なり。諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言ば、衆僧皆流涕しき。
此の如きの心を以てこそ衆をも接し化をも宣べけれ。住持長老なればとて、乱に衆を領じ我が物に思ふて呵嘖するは非なり。
況や其人にあらずして人の短処を云ひ他の非を謗るは非なり。能能用心すべきななり。他の非を見て悪しと思ふて慈悲を以て化せんと思はゞ、
腹立まじきやうに方便して、傍ら事を云ふやうにてこしらふべきなり。
訳
夜の坐禅の時、道元禅師は教えて言われた。
悪口を以て弟子を叱り責めたりしてはいけない。ましてや、誹り咎めたりしてはいけません。僧が四人以上集まれば、サンガであり、国の宝であるので、
敬い尊ばねばなりません。
禅林の住持や師匠は、道理に外れた弟子には慈悲の心を持って教え諭して正しい禅の道に導き入れるべきです。また、叱って打たねばならないとき時には、
決して悪口を言ったり、誹る言葉で行ってはなりません。
私、道元の師匠である中国の如浄禅師が住持であった頃、僧堂で坐禅をしていた時に、居眠りをしている僧がいると、如浄禅師は自分の履でもって、
打ちすえて叱ったものです。しかし、僧たちは打たれることを喜び、有りが難く思ったものです。
或る時、如浄禅師が法堂での提唱の折り、このような話をされた。「私は年老いてしまったので、今は草庵に住んでいて、老後を養っている。だが皆の師匠として、
仏道修行を助けるために、叱責の言葉で以て咎めたり、竹篦で打ちすえたりしている。しかしこのような行為は恐れ多いことである。このような行為は、
私が仏に代わって行っているのであるから皆の者、慈悲の心でもって許して頂きたい。」この言葉を聞いて、弟子たちは涙を流したものであった。
如浄禅師のような心をもってこそ、弟子たちを指導・教化することが出来るのである。住持であるからといって、弟子を叱責したり、打ったりすることは間違っています。
まして、住持でない者が人の過ちを誹るのはよくない事である。同朋の過ちに気づけば、相手が腹を立てないように工夫して叱るべきである。
叱責するときには慈悲の心をもって弟子を教化すべきなのです。
八
亦物語に云く、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき。其時の大納言おほせて云く、是を制すべしと。
大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと。大納言の云く、近か近かなればなりと。大将の云く、其の人に非ずと。是れ美言なり。
此の心にて後には世をも治められしなり。今の学人も其心あるべし。其人にあらずして人を呵すること莫れ。
訳
道元禅師は教えて言われた。
鎌倉の源頼朝が近衛武官次席であった時、宮中で儀式があった。頼朝は内大臣の側近として出仕していた。その時、狼藉者がいた。大納言は狼藉者を取り押さえよと、
頼朝にご命じになった。しかし、頼朝は六波羅の清盛公に命じてくださいと、断った。大納言は、手近にお前という武人がいるではないかと反問した。
しかし、頼朝は私は武人ですが、平家の侍を取り締まる立場ではありませんと答えた。
この時の、頼朝公の振る舞いは立派である。今、仏道を学ぶ者も、自分の立場になかったら、人を叱ったり、取り締まるようなことをしてはいけません。
九
夜話に云く、昔魯仲連と云ふ将軍ありき。平原君が国に在て能く朝敵をたひらぐ。平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯仲連辞して云く、
只だ将軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん為に非ずと云て、敢て取らずと云ふ。魯仲連が廉直とて名誉のことなり。
俗猶を賢なるは我れ其の人として其の道の能をなすばかりなり。かはりを得んと思はず。学人の用心もかくの如くなるべし。
仏道に入り仏法の為に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。内外の諸教に皆無所得なれとのみ勧むるなり。
訳
夜坐の折りに道元禅師は教えて言われた。
昔、魯仲連という平原君の臣下の将軍がいた。敵との戦争を勝利に導いて勲功をたてたので、平原君がそれに報おうとして、金品を与えようとしたが、辞退していった。
「敵を討伐するのが、将軍である私の当然の任務であるから、為したまでです。勲功をいただくためではありません。」魯仲連は廉直な士である。
俗人でも賢者は自分の任務であることは当然行って、その報いを求めようとはしない。仏道を学ぶ者も、このようでなくてはならない。仏法の諸々の修行を行っても、
代償を得ようとなどと思ってはいけない。仏教や仏教以外の教えにも、無所得であれと、勧めています。
十
法談の次に示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云を、理を攻て云ひ勝はあしきなり。亦我は現に道理と思へども、
吾が非にこそと云てはやくまけてのくもあしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり。耳に聴入れぬやうにして忘るれば、
人も忘れて嗔らざるなり。第一の用心なり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
自分に道理がある場合でも、相手が間違ったことを言ったことを咎めて、理屈で言い負かすことはいけません。また、私が間違っていましたと言って、
負けて引き下がるのもいけません。ただ、相手を理屈で言い負かさず、自分が間違っていると言わずに、決着をつけないで、論議をやめてしまったほうがよい。
このようにすれば相手は怒らなく、いつかは議論のことは忘れてしまうであろう。これが人と争わない第一の心がけです。
十一
示して云く、無常迅速なり。生死事大なり。且く存命の際だ、業を修し学を好まば、只仏道を行じ仏法を学すべきなり。文筆詩歌等其の詮なき事なれば捨べき道理なり。
仏法を学し仏道を修するにも、猶を多般を兼学すべからず。況や教家の顕密の聖教、一向にさしおく、べきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。
一事を専らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからず。況や多事を兼て心操をとゝのへざらんは不可なり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
世の中の一切の事象は速やかに移ろい過ぎ去りいくものです。また、人間に生まれて、人間の生死を明らかにすることは最も大切なことです。人間の短い生涯の間に、
何かを学ぼうと思うならば、仏法を学び、仏道修行をしなさい。そして生死の真理を究めなさい。仏法以外の文筆や詩歌の類を学んで、上達しようと思うことは、
まったく無益なことです。また、仏法を学ぶときは、多くの仏典を学ぼうとしてはいけません。ひたすら一事を修学しなさい。学僧が学んでいる顕教・密教などは、
まったく学ばないことです。諸仏・祖師のお言葉も、すべてを学ぼうとしないでよいです。ただひたすら一事を学ぶことです。そうすれば、
才知や器量が劣っている我らも悟りを開くことができるのです。
十二
示して云く、昔し智覚禅師と云し人の発心出家のこと。此の師は初は官人なり。才幹に富み正直の賢人なり。国司たりし時官銭をぬすみて施行す。傍人是を帝に奏す。
帝聞て大に驚怪す。諸臣も皆あやしむ。罪過すでに軽からず、死罪におこなはるべしと定まりぬ。爰に帝議して云く、此臣は才人なり、賢者なり。今ことさらに此罪を犯す、
若し深き心あるか。頸を截んとき、悲み愁へたる気色あらば速かに截べし。若し其の気色なくんば定めて深き心あらん、截べからずと。
勅使引去て截んとする時少も愁る気色なし、還て喜ぶ気色あり。自ら云く、今生の命は一切衆生に施すと。勅使驚き怪て帝に奏聞す。
帝云く、然り、定て深き心有ん、此事あるべしと兼て是を知と。依て其志を問。師云く、官を辞して命を捨て施を行じて衆生に縁を結び、
生を仏家に受て一向に仏道を行ぜんと思ふと。帝是を感じて許して出家せしむ。故に延寿と名を賜ふ。殺すべきをとゞむる故なり。
今の納子も是らほどの心を一度発すべきなり。命を軽じ衆生を憐む心深くして身を仏制に任せんと思ふ心を発すベし。若し先きより此の心一念も有らば失なはじと保つべし。
是れほどの心、一度おこさずして仏法を悟ることは有べからざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
昔、知覚禅師が発心されたわけは、次のようであった。
知覚禅師が俗人の時、官吏であった。才人で、正直な賢者であった。国司の職にであった頃、公金を使って、貧しい人とびとに施した。部下がこの事を皇帝にに訴えた。
皇帝は驚き、不審に思った。朝廷の役人たちは審議して、死罪と決めた。皇帝は知覚禅師は智慧もあり賢者でもあるので、
この様な罪を犯すのは深い考えがあっての事ではないだろうかと、考えられた。そこで、斬首にする時、悲しみ嘆く様子であれば、斬れ。
もし、悲嘆する様子でなければ斬ってはならないと命ぜられた。役人が実際に刑を執行しようとした時、悲しむ様子でなく、返って嬉しそうな態度であった。
また、次のように言われた。「この世に生まれた命は一切の生きとし生けるものに与えるである。」。役人は刑の執行を取りやめた。この事を役人は皇帝に申し上げたら、
「やはり、そうであったか。やはり深い考えがあったのだ。」と申されて、知覚禅師に何故このような事をしたのかと尋ねられた。
「私は官吏を引退して、我が命を衆生のために投げ出して、施しを行うことで、次に生まれる世には仏門にはいって仏道修行をしたい。」と申し上げた。
皇帝は禅師の言葉に感心されて、罪を許し、出家させた。延寿という法名も与えられた。
今の世の仏道修行者も、知覚禅師のような心を一度は起こしてほしいものである。衆生を憐れみ、自分の命を投げだするように真剣に仏道修行を行うことがなければ、
悟りを開くことなどできはしないのである。
十三
夜話に云く、祖席に禅話をこころへる故実は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞ばに随ひて改めもて行なり。仮令仏と云は、我が本より知たりつるやうは、
相好光明具足し説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知たりとも、知識若し仏と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はゞ、蝦蟆蚯蚓を是ぞ仏と信じて日比の知解を捨つべきなり。
此の蚯蚓の上に仏の相好光明、種種の仏の所具の徳を求むるも猶情見あらたまらざるなり。只当時の見ゆる処を仏と知なり。
若し此の如く詞に随て情見本執をあらためもて行かば自ら契ふ処ろあるべきなり。然あるに近代の学者、自らの情見を執し己見を本として仏とはかふこそあるべけれと思ひ、
亦吾が存ずるやうに差へば、さはあるまじいなんどと云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方仏道の精進なきなり。
亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ちありてこそ仏道も学すべけれと云て、真実に知識に随順せざるなり。能能思量すべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
坐禅の席で、師匠の話をよく会得する心得は、自分の知識や執着を師の教えに従って改めていくことである。例えば、師が仏というのは蝦蟇や蚯蚓であると教えられたら、
これらのものを仏と信じることである。しかし、これらに仏の姿や形を探し求めることではない。ただ、現在の蝦蟇や蚯蚓を見えるままに仏と信じることである。このように、
師の教えに従って、自分勝手な知識や執着を改めてゆけば、自然と悟りが開けるようになるのである。仮に師が「百尺の竿の先に登って、手足を離して、一歩を進めなさい。」
と言われたら、その通りにするのである。自分の考えで、「命があってこそ、仏道修行ができるのである。」と言って、従わなければ、とても悟りを開くことなどできはしないのである。
十四
夜話に云く、世間の人も衆事を兼学していづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況や出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。
故に今もうとし。我性も拙なし。高広なる仏法にことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を専にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。
努力学人一事を専らにすべし。
奘問て云く、若し然らば何ごといかなる行か、仏法に専ら好み修すべき。師云く、機に随ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相伝して専らする処ろは坐禅なり。
此の行、能く衆機を兼ね上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の会下にして此道理を聞て後ち、昼夜に定坐して極熱極寒には発病しつべしとて、
諸僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設ひ発病して死すべくとも、猶只是れを修すベし。病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。
病ひして死せば本意なり。大宋国の善知識の会下にて修し死に死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。
修行していまだ契悟せざらん先に死せば、結縁として生を仏家に受くべし。修行せずして身を久く持ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに、
知らず亦海にも入り横死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつゞけて、思ひ切て昼夜端坐せしに、一切に病ひ発らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。
十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勧めかくの如し。
訳
道元禅師は教えて言われた。
俗世間の人たちは、多くの習い事をしているが、全てを習得できないよりも、ただ一事を習って習得するほうが優れているのです。
まして、仏法は、永遠の昔より伝承されてきた教えであるが、修行した者の少ない教えです。故に、どのように修行して悟ることができるのか、わかっていないことが多くあります。
仏法には多くの教義があるが、我らのような鈍器劣悪の者は、専ら一つの教義を習得することが大切です。
懐奘がさらに問うた。
仏法のなかで、どのような教えを専一に修行したらよろしいのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
現在、禅門で伝えられている坐禅である。この坐禅の修行はいかなる素質の者にも向いている。私が天童如浄師の門下であった時、この道理を聞いて以後、
昼夜に渡って坐禅したものであった。気候が極めて暑かったり、寒かったりした時などは、多くの僧侶が病気にならないために、坐禅をやめたが、私はやめなかった。
何故かというと「例え、病気になって死ぬことがあったとしても、坐禅に励むことにしよう。仮に、病気で死んだら、この寺院の立派な僧侶たちの手で、
葬儀をしてもらえるのであるから本望である。また悟りを開かないで死んでも、坐禅を続けたという行為が、よき因縁となって来世でも仏門にはいることができるであろう。
坐禅をやめて、命ながらえても、人間はどんな災いで死ぬかも知れない。仮に災で死んだら、坐禅をしなかったなという後悔にさいなまれるだろう。」と考えた。そして昼夜をおかず、
思いきって坐禅したが、病気になることもなく、却って悟りを開くことができた。各自がこのように、ひたすら坐禅修行すれば、悟りを得ることができるのである。
天童如浄禅師が勧められたのも、このような教えであった。
十五
示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは、中々せらるゝなり。然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切なり。
只依り来る時に事に触れ物に随て心品を調ふること難きなり。学者身命を捨ると思ふて且くおしゝづめて、云ふべきことをも修すべきことをも、道理に順ずるか順ぜざるかと案じて、
道理に順ぜば云ひ若は行じもすべきなり。
訳
人間は決心すれば自分の命を捨てることや手足を斬ることもできるものである。従って俗人も世間で、自分の名誉や利益のためには命を捨てることも、
あながちできないこともないのである。しかし、実際に命を捨てなければならない事態になった時、実行するのは難しいものである。
仏道修行者は命を捨てる覚悟で言動しなければならない時、その言動が道理にかなっているかどうか、よく考えて、道理にかなっていれば、言ったりもし、
行ったりもするようにしなさい。
十六
示して云く、学道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只仏制を守て、世事を営むこと莫れ。仏の言く、衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。いづれの世にか此の二事の尽ること有ん。
無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且く存ぜるあひだ、仏道を思て余事をこととすること莫れ。
有人問て云く、名利の二道は捨雕し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。
糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶て伝はらず。
下根不堪の身、いかがせん。然あらば予が如きは、檀信の信施を貪らんとするも、虚受の罪随ひ来る。田商土工を営むは是れ邪命食なり。
只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり。飢寒来らん時、是を愁ひとして行道を礙へっべし。或人諌めて云く、癬が行儀はなはだし、時を知らず機をかへり見ざるに似たり。
下根なり、末世なり。かくの如く修行せば亦退転の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一外護をもちぎりて、閑居静処にして一身をたすけて、
衣糧に煩ふこと無く静に仏道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。
答て云く、但夫れ衲子の行履、仏祖の家風を学ぶべし。三国ことなりといへども真実学道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。
一向に道を学すべきなり。仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。
外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。万劫千生、幾回か生じ幾度か死せん。
皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度仏制に随て餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。いかに況や未だ一大蔵教の中にも三国伝来の仏祖、
一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず。只任運にして心に挾むこと莫れ。
末法なりと謂ふて今生に道心発さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり。外典に云く、
西施毛嫡にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎緑耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む。
只随分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。仏家亦かくの如くなるべし。況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。
如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき。末法の弟子、豈に是を慕はざらんや。
問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。
答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を発し仏法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、
斉しく如来の福分を与ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く発し難きを発し、
行じがたきを行ずれば、自然に増進するなり。人々皆な仏性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一国為一人興、先賢為後愚廃と。
言ふこころは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃るるなり。是を思ふべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の修行者は衣食に煩ってはいけない。ただ、仏の定められた決まりを守って修行することが大切です。世間の諸事に心を奪われてはいけない。仏は言われています。
衣服は糞掃衣(俗人が捨てた衣類)を繕って身につける。食べ物は定乞食(托鉢による食べ物)である、この二つの事は仏道修行者が一番に心得ることである。
世の中は無常であり、速やかに過ぎ去ることを忘れてしまい、いたずらに俗世間の諸事に心を煩わせてはいけない。儚い露の命が暫くある間に、
ひたすらに悟りを開くことに専心して、その他のことに心を煩わせてはいけない。
また、或人が道元禅師に尋ねた。
名誉や利益を求める心は捨てがたいものですが、悟りを求めるための修行には大きな障害ですのが、捨てられません。衣食は修行者には大切なものです。
糞掃衣と定乞食は釈尊の在世当時の弟子であった、優れた摩訶迦葉尊者には出来ることです。これはインドでの修行法です。しかし、中国の禅林は財産を持っていますので、
衣食の苦労はありません。我が日本では、寺院に財産はないので、乞食の行も絶えています。また、素質や能力の劣った修行僧は、どのようにして、
衣食を得たらよいのでしょうか。その方法ととして、檀家からの布施をいただくことがあります。しかし、檀家に悟りの法を施すこともありません。また、
資格がないのに布施を受けることは罪を犯すことになります。邪命食(商いや仕官や職人になる)をしたりして、僧として正しくない生計の方法をとらざるを得なくなります。
そこで天運に任せるとすると、前世の悪因のために徳のない貧しい僧になってしまいます。衣食に恵まれないときには煩いが起こり、修行の妨げになってしまいます。
このようのことを思っている時に、或人が私に意見を言ってくれました。「あなたの修行の方法は間違っています。時代や素質の違いを考えていない。
そのように思って修行していたら、悟りは開けないでしょう。そのためには、檀家や庇護者を持って、衣食の援助を受けて、静かな山などで閑居して、自分の身体をいたわって、
衣食の煩いをなくして修行すべきである。このことは財物を貪るのではなく、臨機応変に生計を整えて修行することである。このような考えで修行することは正しいのでしょうかと、
尋ねた。
道元禅師は教えて言われた。
禅僧は釈尊や祖師たちの行履を行うことが大切のことである。インドと中国と日本では事情は異なっているが、学道の者は、衣食を確保してから修行するというようなことを、
祖師がたは、誰一人もやっておられない。決して俗世間の常識に従ってはいけない。ひたすら修行して、悟りの道を見いだすべきである。
釈尊は言われている。袈裟と食器以外は私物してはいけない。乞食して余った時は、飢えている衆生に施すのである。蓄えてはならない。
まして、食を多く得るだけのために勤めてはいけない。論語にも言われているではないか。朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。例え飢え死にしようとも、
一日、一時でも仏の教えに従うべきである。万劫の間、輪廻転生してきた者は、幾たびも生まれ変わり、死に変わってきたのである。今、たまたま人間に生まれた時に、
仏の定めた修行をして、飢え死にしても、未来永劫の安楽が得られる。このように修行した祖師がたが一人でも飢え死にしたことを聞いたことがない。
衣食は生まれついて時点で、その人に福分として与えられているのであるから、自分から求めないでいいのである。衣食に心を煩わせてはいけない。
今は末世である。自分は素質が劣っていると言い訳をして、生きている内に悟りを得ることを思わなかったならば、何時、悟りを得る機会があるであろうか。
釈尊の弟子であった須菩提や迦葉尊者ほどの立派な者でなくても、自分なりに悟道の修行をするべきである。貞観政要に次のような記述がある。色を好む者は美女を求める。
馬を好む者は良馬を求める。美食家は珍味を求める。
王である者は賢者を求めるべきである。だから今の世にいる賢者を登用すべきである。俗世でも、このような心がけである。出家した学道者は、
なおさらこのような心がけに徹することである。釈尊は末法を生きる我らにも智慧を施されたのである。それ故に禅林は人間や天界からの供養が絶えないのである。
しかし、釈尊は贅沢を嫌われて、馬の飼料である麦を食べて厳しい修行を行われた。我らは、そのような釈尊の行いに従うことが大切である。
また、或る者が尋ねた。
仏教の戒律を破りながら、供養を受けて仏道を修めることはいかが考えられますか。
道元禅師は教えて言われた。
破戒者や無道心の者になれと誰が言ったのでしょうか。破戒や無道心に関係なく、修行に励むことは釈迦如来の功徳にあずかることです。破戒者は還俗しなさいとか、
無道心の者は修行してはならないと言うことは経典に書かれていません。初めから道心がある者はいません。悟りを開きたく思う者は、己を奮い立たせて、修行することです。
人間はみな仏性を持っているのです。己を卑下してはなりません。
また、道元禅師は教えて言われた。
国は一人の賢人によって栄え、一人の愚人によってすたる。この意味するところは、国に一人の賢者か生まれなければ、先賢の立派な政治もすたれてしまうということです。
この一人ということが大切である。この事をよく思って、一人でも道心を起こすとことが国を栄えさせることにつながるのです。
十七
雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く交会婬色等の事を談ず。是を以心を慰むるとし興言とすることあり。一旦意をも遊戯し徒然も慰むるに似たりと云ふとも、
僧はもつとも禁断すべきことなり。俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じげにげにしき談の時、出来らざることなり。只乱酔放逸なる時の談なり。
況や僧は専ら仏道を思ふべし。雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり。宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなることをも云はざるなり。
吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず。滅後にも在世の時の門弟子等少々残りとゞまりたりし時は、一切に云はざりき。
近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり。存外の次第なり。聖教の中にも、麁強悪業令大覚悟無利言説能障正道とありて、
只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり。況やかくの如きの言語はことばに引れて即ち心も起りつべし。最も用心すべきなり。
故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことと知りなば漸々に対治すべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
俗世間の人びとは猥談をして、一時的に退屈から逃れたり、無聊の慰めとする事があります。しかし、僧侶は決して、そのような猥談をしてはいけません。
俗人でも見識のある者はしないものです。酒に酔って、自制心をなくした者のおこなう所行であるのです。僧侶は専一に仏道修行を行うものです。猥談などをするのは、
偽りの僧侶の所業であるのです。宋の寺院では猥談は一切しなかったものです。日本でも栄西禅師の存命中は僧侶は雑談などはしなかったものです。
また、禅師の直弟子の存命中の頃までは、あからさまに猥談をする僧侶もいなかったものです。しかし、最近の若い僧侶たちの一部の者に、
猥談を好む者をしばしば見かけることがあります。往生要集の中にこのような記述があります。
「荒々しい悪業は、却って僧侶を悟りに導くことがあるが、無益な言説は仏道修行の妨げになる。」と言うことです。猥談することで、煩悩の心が起きて、
仏道修行の妨げとなることが多いので、用心すべきことです。雑談が修行に悪いと知ったならば、次第次第に改め、おこなわないようにすることが大切です。
十八
夜話に云く、世人多く善事を作す時は人に知られんと思ひ、悪事を作す時は人に知れじと思ふに依て、此の心冥衆の心に合はざるに依て、所作の善事には感応なく、
密に作す所の悪事には罰あるなり。是に仍て還て自ら謂く、善事には験しなし、仏法の利益すくなしと思へるなり。是れ即ち邪見なり。最も改むべし。
人も知らざる時に密に善事をなして悪事をあやまりて、後に発露してとがを悔ふ。便ち密蜜になす処の善事には感応あり、露るゝ悪事は懺悔せられて罪み滅する故に、
自然に現益もあるなり。当果をも亦知るべし。
爰に有る在家人来りて問て云く、近代在家人衆僧を供養じ仏法を帰敬するに、多く不吉のこと出来るに依て、邪見起り三宝に帰せじと思ふ、いかんと。
答て云く、是は衆僧仏法の咎にはあらず、便ち在家人自らの錯なり。其の故は、仮令人目ばかりに持戒持斎の僧をば貴び供養じ、
破戒無慚の飲酒食肉等するをば不当なりと思ふて供養ぜず。此の差別の心寔とに仏意にそむけり。故に帰敬の功もむなしく感応もなきなり。
戒の中にも処々に此の心を誡めたり。僧ならば徳の有無を択らまず只供養ずべきなり。殊に其の外相を以て内徳の有無を決定すべからず。
末世の比丘いさゝか外相尋常ならぬ処見ゆれども、亦是れにまされる悪心も悪事もあるなり。然る間だ、よき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、
仏弟子なれば貴びて平等の心にて供養帰敬もせば、必ず仏意に契て利益もひろかるべし。亦冥機冥応顕機顕応等の四句あることを思ふべし。
亦現生後報等の三時業のこともあり。是らの道理能々学すべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
世間の人たちは、善事をした時は、他人に知られるように行い、悪事をした時は、知られないように行う。このような行為は、
冥衆(梵天・帝釈のような神々)の心にかなわないのです。その為に、ご利益がないですし、秘かに行った悪事も罰がくだるのです。世間の人たちは、善事を行っても、
その報いとして、よい結果が現れないので、仏法の教えに従っても利益がないと思いがちであるが、これは間違った考えであるので改めるべきです。誰にも知られないで、
善事を行ったり、ついつい悪事を行ったら、その悪事を隠さないで、懺悔すれば、神々も感心されて、ご利益を与えてくださいます。
在家人が道元禅師に尋ねた。
私たちが僧侶を敬い尊んで供養すれば、たびたび不幸が起きます。その為、仏・法・僧の三宝を敬い、信じることなど止めようと思う者がでてきています。
このような思いについて、どのように考えたらよいのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
仏・法・僧が悪いのではなくて、在家人の自身の問題です。例えば、他人が見ている時だけ、戒律を守っている僧侶は供養するが、
戒律を破っている僧侶は供養しないという差別をすることは、仏の心の背いているのです。差別心のある信仰は何の功徳もないし、ご利益もないのです。
僧侶の徳がある、ないにかかわらず、等しく供養すべきです。僧侶の外見だけで、徳があるかどうかを決めてはいけません。
末世の僧侶は、外見は正しいと見えても、悪心をもち、悪事を行うこともあるものです。よい僧侶であるか悪い僧侶であるかの差別立てをしないことが大切です。
平等に供養すれば、み仏の心にかないますので、ご利益も与えられでしょう。
冥機冥応(人に知られず、見えないところでなした事に対して、人に知られず見えないところで報いがある。)、
顕機順応(あらわれたところでなした事に対し、報いがあること。)、顕機冥応(あらわれたところでなした事に対して、秘かな報いがあること。)、
冥機顕応(秘かになした事に対して、あらわれる報いがあること。)ということがあります。、この四つの言葉の意味を考えなさい。また、現生(現世において報いがあること。)、
後報(末世において報いがあること。)がある。三時業(現世の業の報いを現世で受けることをいう「順現報受」と現世の業報を次の末世で受けるという
「順次生受」と現世の業報を第三世以後の百千生に受けるという「順後次受」という)三つの事もある。これらの道理をよくよく考えて、仏道修行に励みなさい。
一九
夜話に云く、若し人来て用事を云ふ中に、或ひは人にものをこひ、或は訴訟等のことをも云んとて、一通の状をも所望すること出で来ること有んに、
其の時我は非人なり遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分のことを云んは非なりとて、眼前の人の所望をかなへずば、実に非人の法には似たれども、其の心中をさぐるに、
猶我れは遁世非人なり、非分のことを人に云はゞ人定めてわるく思ひてんと云ふ道理を思ふて、聴かずんば、なを是れ我執名聞なり。只其の時に望んで能々思量して、
眼前の人の為に一分の利益となるべき事をば、人のあしく思はんことをも顧みずなすべきなり。此のこと非分なり、わるしとて、疎みもし中をもたがはんも、
かくの如くの不覚の知音、中たがはん事何か苦るしかるべき外には非分の僻事をすると人には見ゆるとも、内には我執を破り名聞を捨つる、第一の用心なり。
仏菩薩は人の来て請ふときは身肉手足をも截れり。況や人来て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり。人々ひじりならず、
非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞を捨ててひすて一分の人の利益とならば真実の道に相応すべきなり。古人も其の義あるかと見ゆること多し。
我も其の義を思ふて、少々檀那智音の思ひかけざる事を人に申伝へて給はれと言う事をば、文み一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり。
奘問て云く、此こと寔に然り。たゞし善事にて人の利益とならんことを人にも云ひ伝
へんは最ともなるべし。若し僻事を以て人の所帯を取んと思ひ、或ひは人の為にあしき事を云んをば、云ひ伝ふべきや如何ん。
師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ状にも載すべけれ。
請け取て沙汰せん人こそ理非をば明らむべけれ。吾が分上にあらぬ此の如きのことを、理を枉てその人に云んことも亦非なり。
亦現の僻事なれども我を人事にも思ふ人にて此の人の云んことは善悪たがへじと思ふほどの智音ありて、檀那の処へひがことを以て不得心の所望をなさば、
其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には、去り難く申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり。
一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり。此の如くのこと、人に対面をもし出来ることにつきて能々思量すべきなり。所詮は事に触て名聞我執を捨つべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
もし、人が尋ねて来て、誰かに何かを依頼するために、一通の手紙を書いて欲しいと頼んだとき、「自分は出家している身であるので、
在家の人に何かを言うことは良くない」と言って、頼みをかなえてやらないのは、正しいか、正しくないかは、よくよく考えてみなければなりません。
断ることが出家人としては、道理にかなっているようであるが、実はそうではないのです。断る出家人の心を推察してみると、「自分は出家人であるので、
俗世の事柄に関わってはならないから、手紙を書くことが出来ない。もし手紙を書いたら、俗世の人たちは自分のことを悪く思うだろう。」と考えて、
依頼人の望みを断ったと思われます。この事は世間の評判にとらわれている我執というものです。断るのではなく、目の前にいる人のために、少しでも、為になることがあれば、
他の人たちが悪く思うことを気にかけずに、依頼人の望みをかなえてやることがよいのです。例えば、「このような手紙を書くことは、
出家人の分に外れた行為である」と悪く言う人と、仲が悪くなっても気にする必要はないのです。出家人として分不相応なことをすると、非難されても、我執を破り、
名誉心を捨てることが、一番大切なことです。
仏や菩薩は、人が来て、求めたら、自分の身体や手足も斬って与えられたのです。ましてや、一通の手紙を書いて欲しいという、僅かばかりの望みは、かなえてやるべきです。
悪い評判が立つのを恐れて、我執を断つことができないというのは、罪をつくることになります。自分の評判が悪くなるのを恐れないで、真実の道理にかなう、
依頼人の望みにかなうようにすべきです。私(道元)は、かなえてやることが、正しいと思っています。信者や知人が手紙を書いてくださいと頼んだら、
用紙が少しばかり必要であるが、望みをかなえてやることは、簡単なことです。
懐奘はさらに問うた、
依頼人の用件が善事だったときは、手紙を書くことは、その通りであると思いますが、手紙の内容が間違ったことであったら、
依頼人のために手紙を書いてやってもよろしいのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
手紙の内容が、善いことであるか、悪いことであるかは、私には関係ないことです。一通の手紙を書いて欲しいという依頼ですから、書いたまでです。
読む人が手紙の内容が道理にかなっているか、そうではないかは、自分で判断して、処置してくださいと、付記しておきます。道元を信じている人へ手紙を書く場合は、
依頼人の要望があるので、書きましたが、内容が道理にかなっているかどうかは、自分で判断して、処置してくださいと、同じように付記しておきます。このようにすれば、
手紙を依頼した人からも、受け取った人の両人から恨まれことがないのです。
このような事柄も、自分の評判をよくしよういう我執を捨てることで、解決するのです。
二十
夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしてはかまへて人に知られんと思ひ悪事を作しては人に知られじと思ふ。是に依て内外不相応のこと出来たる。
あいかまへて内外相応し、錯まりを悔ひ、実徳をかくして外相をかざらず、好事をば他人にゆづり悪事をば己れにむかふる志気あるべきなり。
問て云く、実徳を蔵し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし。但し仏菩薩は大悲利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是を謗り難ぜば、謗僧の罪を感ぜん。
実徳を知らずとも外相を見て貴とび供養ぜば、一分の福分たるべし。是らの斟酌いかなるべきぞ。
答て云く、外相を飾らずとて即ち放逸ならば亦是れ道理に差ふ。実徳を蔵すと云ふて在家等の前にて悪行を現ぜん、亦是れ破戒の甚だしきなり。
只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、諸天善神及び三宝の冥に知見する処なり。
夫をば愧ずして世人に貴とびられんと思ふ意ろを誡むるなり。只時にのぞみ事に触て、興法の為め利生の為に諸事を斟酌すべきなり。擬して後に云ひ思て後に行じて、
卒暴なること莫れとなり。一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり。念々止まらず、日々遷流して無常迅速なること、眼前の道理なり。知識経巻の教へを待つべからず。
只念々に明日を期することなく、当日当時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり。知り難ければ、只今日ばかり存命のほど仏道に随はんと思ふべきなり。
仏道に随ふと云は興法利生の為に身命を捨てて諸事を行じもてゆくなり。諸事を行じもてゆくなり。
問て曰く、仏教のすすめに随はゞ乞食等を行ずべきか如何ん。
答ふ、然あるべし。たゞし是れは土風に随て斟酌あるべし。なににても利生も広く我が行もすゝまんかたにつくべきなり。是らの作法、
道路不浄にして仏衣を着して経行せばけがれっべし。亦人民貧窮にして次第乞食もかなふべからず。行道も退きっべく利益も広からざらんか。
只土風をまぼり尋常に仏道を行じ居たらば、上下の輩がら自ら供養を作し、自行化他成就せん。此の如きの事も、時に望み事に触て道理を思量して、
人目を思はず自らの益を忘て、仏道利生の為に能やうに計らふべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
現今、在家人、出家人は善事をなしたことを人に知られようと思っている。逆に悪事をなしたら、人に知られないことを願っている。このような思いをするから、
内心と外見が一致しないのである。一致するように心がけることが大切です。誤りは悔い改め、真実の徳は内に隠して、外見は飾らず、善いことは他人のせいとして、
悪事は自分が引き受けるようにすることが、肝要なことです。
或人が道元禅師に尋ねた。
「真実の徳を隠して、外面を飾らないと言うことは、よく理解出来ます。しかし、仏や菩薩の慈悲は、衆生に利益を与えることを目的としています。
その道理がわかっていない出家者や在家者は僧侶が外見が悪いと言って非難すると、謗るという罪を受けることになります。僧侶の外見のみを見て在家者が敬い供養をすれば、
幸せになる因縁となりましょう。この事については、どのように考えればいいのでしょうか。」
道元禅師は教えて言われた。
外面を飾らないと言っても、勝手気ままに振る舞うとすれば、道理に反します。真実の徳を隠すと言っても、在家人の前で、悪業するならば、破戒することと同じであります。
正しい求道者であることを人に知られようと思ったり、自分の欠点を人に知られないように思うことも、正しい事ではありません。大切なことは、日々の言動を、
仏法が盛んになるように、また、衆生の利益になるように配慮して、生活することです。
前もって、よく考えてから言葉を発し、よく思案してから行動しなさい。軽率・乱暴であってはなりません。事に当たっては道理にかなうように行動すべきです。世は無常である。
命を与えられた短い間、仏の道理に従うべきです。仏道者は仏法を興し衆生を利益するために、身命を捨てて事を行うことです。
また、或人が道元禅師に尋ねた。
仏の教えに応じて、乞食(托鉢)を行うべきでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
行いなさい、しかし、托鉢をする土地の風俗・風習を考慮しなさい。そうすれば、貴賤や貧富の者にかかわらず、僧侶を供養するであろう。自分の修行も、
衆生の教化も成し遂げることが出来るでしょう。
仏道修行は、時に臨み、事に触れて、道理を思い、他人がどのように思うかを考えずに、自分の利益を顧みないことです。悟りを開くことで、衆生が利益になるように、
ひたすら思って仏道修行に励むことが一番大切なことです。
二十一
示して云く、学道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をすて身をすて心を捨つるなり。能々思量すべきなり。世を遁て山林に隠居すれども、
吾が重代の家を絶やさず家門親族のことを思ふもあり。亦世をものがれ家をもすてゝ親族境界をも遠離すれども、我が身を思て苦るしからんことをばせじ、
病ひ起るべからん事は仏道なりとも行ぜじと思ふも、いまだ身を捨ざるなり。亦身をも惜まず難行苦行すれども、
心仏道に入らずして我が心に差ふことをば仏道なれどもせじと思ふは、心を捨ざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
仏道修行する者は俗世の愛着心を捨てなければなりません。その時に注意すべき点があります。世を捨てる、家を捨てる、身を捨てる、心を捨てるのです。
この四つの意味をよくよく考えて修行するのです。山林には入って、仏道修行しているのに、自分の家を忘れられなかったり、先祖代々の家系を絶やさないようにしなくてとか、
一家一門の親族のゆくすえを心配している者がいます。このような者は世を捨てていないことを意味します。家や親族のことは捨て去ったが、自分の身体は心配する。
また、病気にならないように、修行しなけらばと心配することは、自分を捨てていないことになります。自分の身体は惜しまないで、難行苦行の修行は行うが、
修行を中途半端な心で行っている者は、自分の心に背く修行はしたくないと考えいます。そのことは、いまだ、心を捨てていない証拠です。このようなことは仏道修行者は、
あってはなりません。
正法眼蔵随聞記第二
侍者懐奘編
一
示して云く、行者先づ心をだにも調伏しっれば、身をも世をも捨ることは易きなり。只言語につけ行儀にっけて人目を思ひて、此の事は悪事なれば人あしく思ふべしとてなさず、
我れ此の事をせんこそ仏法者と人は見んとて事に触で善きことをせんとするも、猶を世情なり。然あればとて亦恣ひままに我が心に任せて悪事をするは、一向の悪人なり。
所詮悪心を忘れ我が身を忘れて、只一向に仏法の為にすべきなり。向ひ来らんごとに随て用心すべきなり。初心の行者は先づ世情なりとも人情なりとも悪事をば心に制し、
善事をば身に行ずるが、便ち身心を捨つるにて有なり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
修行者は心を整えて、克服するならば、世間に対しての愛着を捨てることが出来ます。人は何事かについて言動する時、他人の目を気にかけるものです。例えば、
「この様なことをしたら、良くないと思うかも知れない。これをしたら立派な修行者と思われるかも知れない。」というような事です。このような事を思うことは、
世間を捨てていない証拠です。自分勝手な欲にまかせて、悪事をなすことは悪人と同じです。なしてはなりません。悪い心を忘れ、我が身を忘れ、
ただ、ひたすらに仏道修行をすべきです。初学者は、先ず、世間への愛着や執着心である、悪事はしないように心がけて、善いことをすることが、身心を捨てることになるのです。
二
示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、独りの貧人来りて云く、我が家貧ふして絶煙数日におよぶ。夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲を以て是れを救ひ給へと云ふ。
其の時房中に都て衣食財物等無し。思慮をめぐらすに計略つきぬ。時に薬師の像を造らんとて光の料に打のべたる銅少分ありき。是れを取て自ら打をり、
束ねまるめて彼の貧客にあたへて云く、是を以て食物にかへて餓をふさぐべしと。彼の俗よろこんで退出しぬ。時に門弟子等難じて云く、正しく是れ仏像の光なり。
これを以て俗人に与ふ。仏物己用の罪如何ん。僧正の云く、誠に然り。但し仏意を思ふに仏は身肉手足を割きて衆生に施こせり。
現に餓死すベき衆生には設ひ仏の全体を以て与ふるとも仏意に合ふべし。亦云く、我れは此の罪に依て悪趣に堕すべくとも、只衆生の飢へを救ふべしと云云。
先達の心中のたけ今の学人も思ふべし。忘るること莫れ。
亦有る時、僧正の門弟の僧等の云く、今の建仁寺の寺ら屋敷、川原に近し。後代に水難ありぬべしと。僧正の云く、我れ寺の後代の亡失、是れを思ふべからず。
西天の祗園精舎もいしずゑばかりとゞまれり。然あれども寺院建立の功徳失すべからず。亦当時一年半年の行道、其の功徳莫大なるべしと。今ま是れを思ふに、
寺院の建立寔に一期の大事なれば未来際をも兼て難無きやうにとこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理、存ぜられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
故栄西禅師が存命で、建仁寺に居られた時の話です。ある貧しい人が来て言った。「私は貧乏ですので、食べ物がなくて、家族も餓死する一歩前です。
慈悲をもってお救いください」と。しかし、建仁寺には衣類も食糧もなかった。その時、薬師如来の光背を作るために取っておいた銅ののべがねがあることを思い出された。
栄西禅師は自らの手で、これを打ち曲げ、束ね丸めて、貧しい人に与えられました。そして、こののべがねを食べ物に換えなさいと言われた。貧しい人は、有り難く頂いて、
帰って行った。その様子を見ていた弟子たちは嘆いて、栄西禅師に申し上げた。「あののべがねは仏像を作るために保存していたものです。仏に捧げられたものを、
自分勝手に用いたことは、罪になりませんか」と。
栄西禅師は教えて言われた。
「確かにその通りである。しかし、仏は餓死寸前の衆生には、自分の身体も手足も斬って与えられたではないか。のべがねはを与えたことは、仏のみ心にかなうことであろう。
たとえ、私が罪を蒙って悪道に落ちようとも、飢えている衆生は救わねばならないのです」。
道元禅師は教えて言われた。
先人の仏道修行の志の立派なことは、当今の修行者も見習うべきです。
或る時、弟子が栄西禅師に申しました。「建仁寺の敷地は加茂川の近くにある故に、将来、洪水の被害が起きるかもしれません」と。
栄西禅師は教えて言われた。
「後世に建仁寺が無くなってしまうことなど、心配するに及ばない。釈尊の在世時に建てられた祇園精舎も今では跡形も無くなって、礎石だけになっているです。
建物は無くなっても、寺院を建てたという功徳は無くならないし、僅かな期間でも、寺院で仏道修行をしたことの功徳は甚大です」と。
栄西禅師は、寺院を建立することについては、災難が起きずらい場所を選んで建てるべきであるが、たとえ災難にあって、寺院が無くなったとしても、自身が建立したことや、
そこで修行したという功徳は、寺院が無くなろうとも、大きいことであると考えておられたのです。
三
夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、土民等帝を謗ずることありと。帝云く、寡人仁ありて人に謗ぜられば愁ひとすベからず、
仁無ふして人に讃ぜられば是れを愁ふべしと。俗猶をかくの如し。僧は最も此の心あるべし。慈悲あり道心ありて愚痴人に誹謗せられんは苦しかるべからず、
無道心にて人に有道と思はれん、是れを能々つゝしむべし。
亦示して云く、隋の文帝の云く、密々に徳を修して飽けるをまつ。言ふ心は、よき道徳を修して、あけるをまちて民をいつくしうするとなり。
僧猶を是に及ばずんばもつとも用心すべきなり。只内に道業を修すれば、自然に道徳外にあらはれて、人に知れんことを期せず、
のぞまずして只もっぱら仏教にしたがひ祖道に随がひゆけば、人自ずから道徳に帰するなり。こゝに学人の錯まり出で来るやうは、人にたっとばれ財宝いで来るを以て、
道徳のあらはれたると自からも思ひ人も知り思ふなり。是れ即ち天魔波旬のっきたると心にしりて、最も思量すべし。教の中に是は魔の所為と玩なり。
いまだ聞かず、三国の例、財宝にとみ愚人の帰敬をもって道徳とすべきことを。道心者と云ふは昔しより三国みな貧にして、身をくるしくし一切を省約して慈あり道あるを、
まことの行者と云ふなり。徳のあらはるると云も、財宝にゆたかに供養にほこるを云にあらず。徳の顕はるゝに三重あるべし。先づは其の人其の道を修するなりと知らるるなり。
次には其の道を慕ふ者いで来る。後には其の道をおなじく学し同じく行ずる、是を道徳のあらはるゝと云ふなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
唐の太宗に部下が申し上げた、「人民の中に陛下を謗る者がおります」と。
太宗は答えられた。「我に仁徳があり、謗られるならば少しも心配するに及ばない。もし我に仁徳がなくて、誉められることがあれば、心配しなくてはならない」と。
世俗にも、このような立派な人がいるのである。僧侶たる者も同じように考えなければなりません。僧に慈悲心があり、道心があるのに、
世間の人たちから悪口雑言を言われたり、非難されても、少しも気にすることはありません。むしろ、道心が無いのに、徳のある人と言われることに気をつけるべきです。
隋の文帝の言葉に、このようなことがあります。「人知れず徳を修めて、おのずと徳が外見にあらわれてくるのを待つ」と。徳が外見にあらわれてきて、
初めて人民に慈悲深い政治を行うことが出来るという意味です。僧も人知れず悟道の修行をして、その徳が自然に外見にあらわれてくるのを待つことです。
そうすると、人びとは僧侶に帰依することになるのです。仏道修行で、誤った考えをする僧侶は、徳が無いのに、人びとに尊敬されたり、財宝を持つことによって、
徳が無いのに徳があると思いこむことです。仏の教えですで、徳が無いのに徳があると思うことを悪魔の所業と言われました。
インド・中国・日本において、愚人によって尊敬され、財宝を持つことが、徳があるとは、聞いたことがありません。道心のある僧侶は皆、貧しくて、
つつましい生活をしている慈悲心のある僧侶のことを真の修行者というのです。僧侶は皆、このようでありたいと思います。
徳が外見に現れるには三段階があります。第一は、道を求めて修行している者であると知られることです。第二は、修行者を慕い人びとが、訪れることです。
第三は、同じ修行者が集まることです。
四
夜話に云く、学道の人は人情を棄べきなり。人情をすつると云は仏法に随がひ行くなり。世人をほく小乗根性にて、善悪をわきまへ是非を分ちて是をとり非をすっるは、
みな是れ小乗根性なり。只先づ世情をすてて仏道に入るべし。仏道に入るには、我こころに善悪を分けてよしと思ひあしゝと思ふことをすてて、
我が身よからん我が意ろなにとあらんと思ふ心をわすれて、善くもあれ悪くもあれ仏祖の言語行履に随がひゆくなり。吾が心に善しと思ひ亦世人のよしと思ふこと、
必らずしも善からず。然あれば人めもわすれ吾が意
ろをもすて冫、仏教に随がひゆくなり。身もくるしく心も愁ふるとも、我が身心をば一向にすてたるものなればと思ふて、苦るしくうれへつべきことなりとも、
仏祖先徳の行履ならばなすべきなり。此の事はよきこと仏道にかなひたらめと思ふて、なしたく行じたくとも、もし仏祖の行履に無からん事はなすべからず。
是れ必らず法門をもよくこゝろへたるにてあるなり。吾が心にも亦本より習ひ来たる滋獣の思量をば棄て气只今見る所ろの祖師の言語行履に次第に心ろを移しもてゆくなり。
かくのごとくすれば智慧もすすみ悟りも開くるなり。本より学せし処ろの教家文字の功もすつべき道理あらば棄てて、今まの義につきて見るべきなり。
法門を学する事は本より出離得道のためなり。我が所学多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと猶を心ろ深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛の心と云ふなり。能々思量すべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の者は人情を捨てねばなりません。人情を捨てるというのは、仏祖の教えに従うことです。俗世間の者の多くは、ひたすら自分だけの悟りを求める気持ちが強いものです。
自分で善悪是非を分別して、善を求めて、悪を斥ける事があります。このような行為は、自己中心であるので、捨てるべきです。自己の考えを捨てて、
仏や祖師の言行に従って修行すべきです。自分では、この修行は善いことであり、仏道にかなっていると思っても、仏祖の行われなかった事はしてはいけません。
自分が前々から学んだ仏教の教理も捨てる道理があれば、捨てねばなりません。仏道を学ぶは、世間を捨てて、悟りの道を学ぶことです。
自分の考えを捨てられない心を生死繋縛の心(無明の迷妄に縛りつけられている心)というのです。このような心も、仏祖の行履に従って、捨て去るべきです。
五
夜話に云く、故建仁寺僧正の伝をば顕兼中納言入道の書れたるなり。其の時辞することばに云く、儒者に書かせらるべきなり。そのゆへは、
儒者はもとより身をわすれて幼なき時きより長となるまで学問を本とす。故にかき出したるものに誤まり無きなり。直の人は身の出仕交衆を本として、
かたはらことに学問をもするあひだ、自から好人あれども、文筆のみちにも誤まり出で来るなりと。是を思ふに昔しの人は外典の学問も身をわすれて学するなり。
亦云く、故公胤僧正の云く、道心と云ふは一念三千の法門なんどを胸の中に学し入れてもちたるを道心と云ふなり。
なにと無く笠を頸に懸て迷ひありくをば天狗魔縁の行と云ふなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
故栄西禅師の伝記は、顕兼中納言が書かれたものです。初め、栄西禅師ほ辞退されて、次のように言われました。「それは儒者に書かせたほうがよろしいでしょう。
何故かというと、儒者は幼少から成人するまで、身を忘れて学ぶし、学問を本業としているので、書いたものに、誤りが無い。余暇に学問する者は間違って書く者もいます。
しかし、その中にも、学問を極めた立派な者もいるものです」と。これについて思うに、昔の人は、仏教以外の外典の学問をも、身を忘れて行ったものです。
また、道元禅師は教えて言われた。
故公胤僧正の言われたことです。「道心というのは、天台宗の教理にいうところの、一念三千(三千世界が一念の心の中にある)という教えを、しっかりと学んで、
納得していることを言うのである。何となく、外形は僧侶の形をしていて、修行している者は、自分自身に迷っているのであり、偽りの姿をしているだけである」と。
六
夜話に云く、故僧正の云く、衆僧各所用の衣糧等の事、予があたふると思ふ事なかれ。皆な是れ諸天の供ずる所ろなり。吾れは取り次ぎ人にあたりたるばかりなり。
亦各一期の命分具足す。奔走すること莫れ。吾が恩と思ふこと莫れと常にすすめられける。是れ第一の美言とをぼゆるなり。
亦大宋宏智禅師の会下天童は常住物千人の用途なり。然あれば堂中七百人堂外三百人にて千人につもる常住物なるに、好き長老の住したる故へに、
諸方の僧雲集して堂中千人なり。その外に五六百人あるな知事の人、宏智に訴たへて云く、常住物は千人の分なり、衆僧多く集まりて用途不足なり、
枉げてはなたれんと申ししかば、宏智云く、人人みな口ちあり、汝ぢが事にあづからず、歎くこと莫れと云云。
今ま是を思ふに、人人皆生得の衣食あり。思念によりても出で来らず、求めざれば来らざるにもあらず。在家人すらなを運に任かせて忠を思ひ孝を学す。
いかに況や出家人はすべて他事を管ぜんや。釈尊遺付の福分あり、諸天応供の衣食あり、亦天然生得の命分あり。求めず思はずとも任運に命分あるべきなり。
直鐃ひ走り求めて宝らをもちたりとも、無常忽ちに来らん時如何ん。故へに学人は只須からく余事を心ろにとゞめず、一向に学道すべきなり。亦ある人の云く、
末世辺土の仏法興隆は、閑居静処をかまへ衣食等の外護にわひなく、衣食具足して仏法修行せば、利益も広かるべしと。今まこれを思ふに然らず。それに附ては、
有相著我の諸人あつまり学せんほどに、その中には一人も発心の人は出来るまじ。利養につき財欲にふけりて、縦ひ千万人集りたらんも、一人無からん記猶おとるべし。
悪道の業因のみ自ら積て、仏法の気分なきゆへなり。もし清貧艱難にして、或ひは乞食し、あるひは果菰等を食して、常に飢饉して学道せんに、
是れを聞て若し一人も来り学せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、仏法興隆ならめとおぼゆれ。艱難清貧によりてもし一人もなからんと、
衣食ゆたかにして諸人あつまりて仏法の無からんとは、只八両と半斤となり。
亦云く、当世の人、多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり。是れ亦非なり。直饒ひ高堂大観玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず。
只在家人の財宝を仏界に入れて善事をなす福分なり。亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり。たとひ草菴樹下にてもあれ、
法門の一句をも思量し一と時の坐禅をも行ぜんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ。今ま僧堂を立んとて勧進をもし随分にいとなむ事は、必ずしも仏法興隆と思はず。
只当時学道する人もなくいたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦当時学道の徒がらの坐禅の道場のためなり、
亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てI置たらば、後来も、かく思ひくはだてたれども成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり。
訳
故栄西禅師は教えて言われた。
弟子たちの衣服や食糧は、私から貰うのではなくて、仏法を護る天の神々が供養してくださるのです。私はその取り次ぎ役をしているだけです。人は皆それぞれ、
一生を生きるための食糧は備わっているのです。このことを食分といいます。食糧を得るために、無駄な事はしないことです。
仏道修行者は悟りを開くこと以外には関わってはなりません。
また、ある者が次のような事を言っています。「衣食の心配がないようにして修行したほうがいいではありませんか」と。
道元禅師は教えて言われた。衣食の心配がなくなったので、数多くの修行者が集まってきて修行していても物欲や世間の常識を捨てなければ、
仏道を学ばないほうがよいくらいです。今の世間の人たちは、仏像を造ったり、塔を建てたりすることによって、仏法が興隆していると思っているが、これは間違いです。
むしろ、草ぶきの庵や樹下で坐禅することが、本当の仏教が興隆しているのです。しかし、私が僧堂を建てることによって、迷っている凡夫が仏道に縁を結ぶようになればと思って、
建て始めたのです。例え、柱一本だけしか建てられなくて、後世の人が僧堂が出来なかったと思おうが、私は少しも苦にならないのです。
七
亦ある人勧めて云く、仏法興隆のために関東に下向すべしと。
答て云く、然らず。若し仏法に志しあらば、山川江海を渡りても来て学すべし。其の志ざし無らん人に往き向ふて勧むるとも、聞き入れんこと不定なり。
只我が資縁のために人を誑惑せんか、亦財宝を貪らんがためか。其れは身の苦しみなればいかでもありなんと覚ゆるなり。
訳
ある者が道元禅師に尋ねた。
「仏法興隆のために関東の鎌倉へ行かれたら如何でしょうか」と。
道元禅師は教えて言われた。
そんな事はしなくてもよいと考えています。何故ならば、仏法を求める志が強ければ、どんな所に住んでいようとも、山河や海を越えて私を訪ねてきて、教えを請うはずです。
そのような志の無い者の所へ私が行って仏法を説いても、聞き入られるかどうか、あやしいものです。当寺院に衣糧の援助を願うために行くようなことは致しません。
八
亦云く、学道の人、教家の書籍をよみ外典等を学すべからず。見るべくんば語録等を見るべし。其の余はしばらく是を置べし。
近代の禅僧、頌を作くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便ち非なり。頌につくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とゝのはずとも法門をかくべきなり。
是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀句ありとも、只言語ばかりを翫あそんで理を得べからず。
我れ本と幼少の時より好のみ学せしことなれば、今もややもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるゝを、詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の者は、学問僧が学ぶ仏教の教理や外典の書籍は学ぶべきではありません。禅宗の祖師たちの行履書かれた、語録を読むべきです。禅僧は偈頌を作ったり、
法語を書くために詩文学んだりする者がいるが、これらの事は禅僧にとっては無駄なことです。偈頌を作らなくても、自分が思うことを、そのまま書けばよいのです。
文章が整っていなくてもよいのです。文章を整えたりする者は、言葉をもてあそんでいるだけで、言葉の意味するところを会得しているわけではないのです。
私は幼いときから学問をしたので、今でも漢籍の美しい文章を思い出したり、「文選」などを読んだりすることがありますが、学問をしたり、文章を習ったりすることは、
学道修行には役立ちませんので、捨て去るべきです。
九
一日示して云く、吾れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧道者にてありしが、我に問て云く、語録を見てなにの用ぞ。答て云く、古人の行李を知ん。
僧の云く、何の用ぞ。云く郷里にかへりて人を化せん。僧の云く、なにの用ぞ。云く利生のためなり。僧の云く、畢竟じて何の用ぞと。予後に此の理を案ずるに、
語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり。只管打坐して大事をあきらめなば、
後には一字を知らずとも、他に開示んに用ひつくすベからず。故に彼の僧、畢竟じてなにの用ぞとは云ひける。是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、
一向に打坐して大事を明らめ得たり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
私が宋国で修行していた時の事です。古人の語録読んでいたとき、西川州から来ていた僧が私に問われた。
「語録を読んで、何の役にたつのか」
「故国に帰ってから、人びとを教化するためです」
「それが何の役にたつのか」
「衆生に利益を与えられます」
「それで結局のところ、何の役にたつのか」
私は、後ほど、僧の問うたことを考えてみた。語録を読んで、衆生を教化すつのは、自分の修行のためや人びとを教化するためには、無用なことであるのがわかった。
むしろ、ひたすら坐禅をする事が大事なことであると気がついた。そして、悟りを得たら、それでもって衆生を救うことができるのです。
それ故に僧は「それで結局、何の役にたつのか」と、言ったのである事がわかった。その後は、語録などを読むことをやめて、専心に坐禅に励んで、
一生参学の大事を明らかにすることができたのです。
十
夜話に云く、真実内徳なふして人に貴びらるべからず。此の国の人は真実の内徳をば知らずして、外相を以て人を貴とぶほどに、無道心の学人は、
即ち悪道にひきおとされて魔の眷属となるなり。人に貴とびられんは安き事なり。中々身を捨て世をそむく由を以てなすは、外相ばかりの仮令なり。
只なにともなく世間の人の様にて内心を調へもてゆくが是れ実の道心者なり。然あれば古人の云く、内ち空しふして外したがふと。云心は、内心は我心なふして、
外相は他に随がひもてゆくなり。我が身我が心と云ふ事を一向に忘れて仏法に人て、仏法のおきてに任かせて行じもてゆけば、内外ともによく今も後もよきなり。
仏法の中にもそゞろに身をすて世をすっればとて、棄つべからざる事をすつるは非なり此の土の仏法者道心者を立る人の中にも、身をすつるとて、人はいかにも見よと思ひて、
ゆへ無く身をわるくふるまひ、或は亦世を執せぬとて、雨にもぬれながら行きなんどする、内外ともに無益なるを、世間の人はすなはち此らを、
貴き人かな世を執せぬなんどど思へるなり。中に仏制を守りて戒律の儀をも存じ、自行化他仏制にまかせて行ずるをば、かへりて名聞利養げなるとて人も管ぜざるなり。
夫れが却て吾がためには仏教にも随ひ内外の徳も成ずるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
心の中に徳が無くて、世間の人たちに尊敬されることがないようにしなさい。我が国の人たちは真実の徳を知らないので、外形をもって、人の善悪を判断する傾向があります。
我が身を仏法に任せて、行じていけば、内心も外形もずいぶんよくなります。例えば身を捨てていることを見せようとして、雨の中を濡れていくなどしている者もいますが、
世間の人は、このような人を悟りを開いた人と思いがちであるが、そんなことはありません。自分が悟ったら、衆生を教化することが大事です。それが仏教の教えにかなっています。
十一
夜話に云く、学道の人、世間の人に智者もの知りとしられては無用なり。真実求道の人の一人もあらん時は、我が知る所の仏祖の法を説かざることあるべからず。
直鐃ひ我を殺ろさんとしたる人なりとも、真実の道を聴んとて誠との心を以て問はゞ、怨心をわすれて是が為に説べきなり。其外か教家の顕密及び内外の典籍等の事、
知りたる気色しては全く無用なり。人来りて此の如きの事を問はゞ、知らずと答へたらんに一切に苦るしかるべからざるなり。其れをもの知らぬはわるしと人も思ひ、
愚人と自ずから覚ゆる事を傷んで、ものを知らんとて博く内外典を学し、剰すさへ世間世俗の事をも知らんと思ふて諸事を好み学し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、
妬めて僻事なり。学道のために真実に無用なり。知りたるを知らざる気色するも、むつかしくやうがましければ、却てあたる気色にてあしきなり。
本とより知らざらんは苦るしからざることなり。我れ幼少の時、外典等を好み学しき。夫れがのち入宋伝法するまでも、内外の書籍を開き方語を通ずるまでも、大切の用事、
亦世間のためにも、尋常ならざる事なり。俗なんども尋常ならざる事に思ひたる、かたがたの用事にてありけれども、今ま熟つら思ふに、学道のさはりにてあるなり。
只聖教を見るとも文に見ゆる所ろの理を次第に心ろ得てゆかば、其の道理を得つべきなり。然るに先づ文章を見、対句韻声なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思ふて、
後に理をば心得るなり。然あれば中々知らずして、初めより道理を心ろえて行かばよかるべきなり。法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、
韻声差へば礙へられなんどするは、知りたる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を顆々と書きたらんは、後来も文はわろしと思ふとも、
理だにも聞ゑたらば道のためには大切なり。余の才学も此くの如し。伝へ聞く、故高野の空阿弥陀仏は、本は顕密の碩徳なりき。遁世の後ち念仏の門に入て後に、
真言師ありて来て密宗の法門を問けるに、彼の人答へて云く、皆わすれおはりぬ、一宇もおぼへずとて、答へられざりけるなり。是らこそ道心の手本となるべけれ。
などかは少々覚へではあるべき。然あれども無用なる事をば云はざりけるなり。一向念仏の日はさこそ有べけれと覚ゆるなり。今の学者も此の心あるべし。
縦ひもと教家の才学等ありとも皆忘れたらんは好事なり。況や今ま学すること努々あるべからず。宗門の語録等、猶を真実参学の道者は見るべからず。其の余は是を以て知るべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の人は、世間の人たちに智者であるとか、もの知りと誉められることは、一切無用なことです。
それ故に祖師の行履の語録以外の外典類を勉強する必要はないのです。ひたすら坐禅すれば、おのずと悟りは開けます。
十二
夜話に云く、今此国の人は、多分、或ひは行儀につけ、或ひは言語につけ、善悪是非世人の見聞識知を思ふて、其の事をなさば人悪しく思ひてん、
其の事は人善しと思ひてんと、乃至向後までをも執するなり。是れ全く非なり。世間の人必ずしも善とすることあたはず。人はいかにも思はゞ思へ、狂人とも云へ、
我が心に仏道に順じたらんことをばなし、仏法に順ぜずんば行ぜずして、一期をも過ごさば、世間の人はいかに思ふとも苦るしかるべからず。
遁世と云は世人の情を心にかけざるなり。たゞ仏祖の行履菩薩の慈悲を学して、諸天善神の冥に照す所を慚愧して、仏制に任せて行じもてゆかば、一切苦るしかるまじきなり。
さればとて亦人の悪しゞと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして悪事を行じて人を愧ざるは、是れ亦非なり。たゞ人目にはよらずして一向に仏法に依て行ずべきなり。
仏法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
今の我が国の人たちは、自分の言動を世間の常識に従って行っています。しかし、仏法を学道すると言うことは、世間の常識に従うことではありません。
ひたすら坐禅して、仏祖の行履や菩薩の慈悲を学ぶことで、悟道の境地に達することができるのです。
十三
亦云く、世俗の礼にも、人の見ざる処あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも放逸に隠処なんどをも蔵くさず無礼なるをば、
天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり。只だ人の見る時と同くかくすべき処をもかくし、はづべきこともはづるなり。仏法の中も亦戒律かくのごとし。
然あれば道者は内外を論ぜず、明暗を択ばず、仏刹を心に存じて人の見ず、知らざればとて悪事を行ずべからざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
世間の礼儀にもあります。人が見ているときも、見ていないときも、服装を着替えたり、坐ったり、眠ったりする時には、
見せてはならない身体の部分を隠さない事を恥とするものです。仏法の戒律も同じようなものです。戒律を守るのは、人が見ているか、見ていないかにかかわらず、
守るべきです。人が見ていないからといって、戒律を破ったり、悪事を行ってはなりません。
十四
一日学人問て云く、某甲なを学道を心にかけて年月を経るといへども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道は聡明霊利に依らず、有智明敏を用ひずと云ふ。
然あれば我が身、下根劣器なればとて卑下すべきにもあらずときこへたり。若し故実用心を存ずべき様ありや、如何ん。
示して云く、然あり。有智高才を用ひず、霊利聡明によらぬは、まことの学道なり。あやまりて盲聾痴人のごとくになれとすすむるは非なり。
学道は是れ全く多聞高才を用ひぬ故へに、下根劣器と嫌ふべからず。誠の学道はやすかるべきなり。然あれども大宋国の叢林にも、一師の会下の数百千人の中に、
まことの得道得法の人はわづかに一人二人なり。然あれば故実用心もあるべきなり。今ま是を案ずるに志の至と至らざるとなり。真実の志しを発して随分に参学する人、
得ずと云ふことなきなり。その用心の様は、何事を専らにしその行を急にすべしと云ことは、次のことなり。先づ只欣求の志しの切なるべきなり。譬へば重き宝をぬすまんと思ひ、
強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥、ことにふれおりに随て、種種の事はかはり来るとも其れに随て、隙を求め心に懸くるなり。
この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。此の如く道を求る志し切になりなば、或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若は知識に逢はん時、
実の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是れほどの心ろ発らずして、仏道の一念に生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん。若し此の心あらん人は、
下智劣根をも云はず、愚痴悪人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり。亦此の志しをおこす事は切に世間の無常を思ふべきなり。
此の事は亦只仮令の観法なんどにすべきことにあらず。亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず。真実に眼前の道理なり。人のおしへ、聖教の文、証道の理を待つべからず。
朝に生じて夕ふべに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼にさへぎり耳にちかし。是は他のうへにて見聞することなり。我が身にひきあてて道理を思ふに、
たとひ七句八句に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す。其の間の憂へ楽しみ、恩愛怨敵等を思ひとげばいかにでもすごしてん。
只仏道を信じて涅槃の真楽を求むべし。況や年長大せる人、半ばに過ぬる人は、余年幾く計りなれば学道ゆるくすべきや。此の道理も猶のびたる事なり。真実には、
今日今時こそかくのごとく世間の事をも仏道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西をも弁へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼神の怨害をもうけて頓死をもし、
いかなる賊難にもあひ怨敵も出来て殺害奪命せらるることもやあらんずらん。実に不定なり。然あれば是れほどにあだなる世に、
極て不定なる死期をいつまで命ちながらゆべきとて、種種の活計を案じ、剰さへ他人のために悪をたくみ思て、いたづらに時光を過すこと、極めておろかなる事なり。
此の道理真実なればこそ、仏も是れを衆生の為に説きたまひ、祖師の普説法語にも此の道理のみを説る。今の上堂請益等にも、無常迅速生死事人と云ふなり。
返返も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、学道に心をいるべきなり。其の後は真実にやすきなり。
性の上下と根の利鈍は全く論ずべからざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の人は、聡明・博識である必要はありません。私が宋国の寺院で修行していた時、如浄禅師の弟子が数千人居られましたが、真に得道しておられる僧は、
僅か2、3人でした。得道できるかどうかは、志が堅いかどうかによります。志が堅い僧侶は得道することが多いです。志を起こすには、無常を思うことです。
「朝に生じて夕べに死す」事は世間で、よく見聞きすることです。僅かな生涯の間に仏道を学ばないなら、いつの日に学ぶというのでしょう。
今日、今時にしか自分の命はないのですから、今、仏道を修行しなかったならば、いつの日に修行するのでしょうか。いたずらに、雑事にかまけて、
時を過ごすという愚かな事をしてはいけません。
今時、今日の命であると言うことは真実ですから、仏は、この道理を衆生に説かれたのです。繰り返しますが、無常迅速生死事大です。
この道理を心に銘記して、ただ、今日、今時ばかりの命と思って、学道に励むことが、開悟するためには、一番大事なことです。
一五
夜話に云く、人多く遁世せざることは、我が身をむさぼるに似て我が身を思はざるなり。是れ便ち遠慮なきなり。亦是れ善知識にあはざるに依てなり。
縦ひ利養を思ふとも常楽の益を得て竜天の供養を得んことを願ひ、名聞を思ふとも仏祖の名を得古徳の名を得ば、後賢も是れを聞ては慕ふべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
世間の人が遁世しないのは、自分の欲望を叶えるために、生きているためです。また、善知識に出会わなかった為です。
遁世して、修行し、開悟すれば、立派な祖師となれます。これに優る名誉なことはないのです。きっと、昔の徳のある人も、後世の優れた人たちも喜ばれることでしょう。
一六
夜話に云く、古人の云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。いま学道の人も此の心あるべきなり。曠劫多生の間だ、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、
まれに人身を受けてたまたま仏法にあへる時此の身を度せずんば、何れの生にか此身を度せん。縦ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず。
ついに捨てて行く命ちを一日片時なりとも仏法のために捨てたらんは、永劫の楽因なるべし。後のこと明日の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、
徒らに日夜を過すは、口惜きことなり。只思ひきりて、明日の活計なくば飢へ死にもせよ、寒ごへ死にもせよ、今日一日道を聞て仏意に随て死せんと思ふ心を、
まづ発すべきなり。然るときんば道を行じ得んこと一定なり。此の心なければ、世をそむき道を学する様なれども、猶しり足をふみて夏冬の衣服等のことをした心にかけて、
明日猶明年の活命を思ふて仏法を学せんは、万劫千生学すともかなふべしともおぼへず。亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、仏祖の教へにはあるべしともおぼへざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
古人曰く「朝に道を聞いて夕べに死すとも可なり」と。学道の人は、このような心がけで修行するべきです。稀にこの世に生を受けている我がみです。
将来の生活を案じて悩み、修行しなかったらいつの日に修行して、開悟するというのでしょうか。今時、今日のみ、命があると心得て修行することが大切です。
一七
夜話に云く、学人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり。たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして徒らに時を過さず、
詮あることをなして時を過すべきなり。其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか人切なると云ふに、仏祖の行履の外はみな無用なりと知るべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
学道の者は、自分は必ず死ぬということを自覚するべきです。そうすると、生きている間を無駄に過ごすことが無くなるはずです。
そして、仏祖の行履に従って生活することが大事です。
一八
或る時奘問て云く、衲子の行履、旧損の衲衣等を綴り補ふてすてざれば、ものを貪惜するに似たり。亦旧きを捨てて、新しきを随て用れば、新しきを貪求する心あり。
両ながら咎あり。畢竟していかんが用心すべき。
答て云く、貪惜貪求の二つをだにも離れなば、両頭ともに失なからん。ただし、破たるを綴て久からしめて、新きをむさぼらずんば、可ならんか。
訳
或る時、懐奘が尋ねられた。
禅僧が古くなって、破れたりした袈裟を継ぎはぎして使っているのは、ものを貪っているように見えます。また、古い袈裟を捨てて、新しい袈裟を使うのは、
物欲があるように見えます。この事について、いかにすればよろしいでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
貪り惜しむ心と、貪り求める心を捨てるならば、両方とも間違いではないです。ただ、破れた袈裟を繕って、長い間、
使うようにし、新しいものを無闇に欲しがらないようにするのがよろしいでしょう。
一九
夜話の次に、奘問て云く、父母の報恩等の事は作すべきや。
示して云く、孝順は最用なる所なり。然あれども其の孝順に在家出家の別あり。在家は孝経等の説を守て生につかへ死につかふること、世人みな知れり。
出家は恩をすてて無為に入る故に、出家の作法は恩を報ずるに一人にかぎらず、一切衆生をひとしく父母のごとく恩深しと思ふて、なす処の善根を法界にめぐらす。
別して今生一世の父母にかぎらば無為の道にそむかん。日日の行道、時時の参学、只仏道に随順しもてゆかば、其れを真実の孝道とするなり。
忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子は父母の恩の深きことをば実の如くしるべし。余の一切も亦かくの如しと知るべし。
別して一日を占てことに善を修し、別して一人を分て廻向するは、仏意にあらざるか。戒経の父母兄弟死亡之日の文は、且く在家に蒙むらしむるか。
大宋叢林の衆僧、師匠の忌日には其儀式あれども、父母の忌日は是を修したりとも見へざるなり。
訳
懐奘禅師が尋ねられた。
父母に対する報恩は如何にするべきでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
父母に仕えることは大切なことです。しかし、出家者と在家者では違いがあります。在家者は父母の存命中も死後も、よく仕えるべきです。出家者は、恩愛の世間を捨てて、
無為の世界に入る決心をした者ですから、父母だけに限らず、全ての生きとし生けるものに真心を持って仕えるのです。
だから、出家者は毎日の仏道修行を怠りなく行うことが父母に仕えることになるのです。
私が宋国の寺院で修行していた時、師匠の命日には儀式を行っていましたが、父母の命日には、儀式のようなものは行っていませんでした。
二十
一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり。世間の人の馬より落る時、いまだ地におちつかざる間に種種の思ひ起る。
身をも損じ命ちをも失するほどの大事出来る時は、誰人も才学念慮を廻すなり。其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり。然あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、
あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志をすすむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。中々世智弁聡なるよりも鈍根なるやうにて切なる志しを発する人、
速に悟りを得るなり。如来在世の周梨槃特のごときは、一偈を読誦することも難かりしかども根性切なるによりて一夏に証を取りき。只今ばかり我が命は存ずるなり。
死なざる先きに悟を得んと切に思ふて仏法を学せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
利口であるとか、無智であるとかは、志があるか、無いかと言うことです。だから、志がある者は利口であるのです。落馬する時は、利鈍に関係なく、
智慧や配慮が働くものです。だから、今夜、明日に死ぬものと覚悟して修行すれば悟りは開けます。世智にたけた利口な者よりも頭が悪い者ほど切なる志があるものです。
故に頭が悪い者の方が悟りやすいのです。釈尊の弟子の周梨槃特は、頭が悪いので、釈尊の教えを暗誦することが出来ませんでしたが、道を求める志が強かったので、
悟りを開くことができたのです。只今ばかりの命であると覚悟して修行すれば悟りを開くことができます。
二十一
一夜示して云く、大宋の禅院に麦米等をそろへて悪きをさけ善きをとりて飯等にすることあり。是れを或る禅師の云く、直饒ひ我が頭をうち破ること七分にすとも、
米をそろふることなかれと、頌につくり戒めたり。此のこゝろは、僧は斎食等をとゝのへて食することなかれ、只有るにしたがひてよければよくて食し、
悪きをもきらはずして食すべきなり。只檀那の信施、清浄なる常住食を以て、餓を除き命をささへて行道するばかりなり。味ひを以て善悪を択ぶことなかれと謂ふなり。
今ま我が会下の徒衆も此の心あるべし。
訳
道元禅師は教えて言われた。
宋の禅院では、米の良いものを選んでご飯を炊き、食事をすることがあった。その事を見て、或る禅師が言われた。自分の頭を打ち砕くとも、
米を揃えるのは止めなさいと戒められて、偈を作られた。その意味するところは、僧侶は、よい米だけを選んで食べるということは良くないことです。
ただ、有るものを食べることです。まずい食事だからといって嫌わずに食べることです。僧は布施を貰い、それで飢えをしのぎ、悟りの道を修行するばかりです。
二十二
因に問て云く、学人若し自己これ仏法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向来の修行参学を放下して、
本性に任せて善悪の業をなして一期を過さん、此の見解いかん。
示して云く、此の見解、言と理と相違せり。外に向て求むべからずと云て、行を捨て学を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり。これもとめざるにはあらず。
只行学もとより仏法なりと証して、無所求にして、世事悪業等は我が心になしたくともなさず、学道修行のものうきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、
道成ずるも果を得るも我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向てもとることなかれと云道理にはかなふべけれ。南嶽のせんを磨して鏡となせしも、
馬祖の作仏を求めしを戒めたり。坐禅を制するにはあらざるなり。坐はすなはち仏行なり、坐はすなはち不為なり。是れ便ち自己の正体なり。
此の外別に仏法の求むべき無きなり。
訳
懐奘は尋ねられた。
「自己と仏は別のものではないので、仏法を外に求めてはならない」という教えを聞いて修行を止めてしまって、本能のおもむくままに生活したら如何でしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
修行も参学も実践して、何の功徳を求めることがなく、ひたすら坐禅するのです。このような行為が外に求めることがないというのです。
南岳禅師が弟子の馬祖に、瓦はいくら磨いても鏡にならないと諭したのは、馬祖が坐禅によって悟りを得ようとしたことを戒められて言われたのです。
坐禅がそのまま悟りの行であるので、それ以外の修行をする必要はないのです。
二十三
一日請益の次でに云く、近代の僧侶、多く世俗に随ふべしと云ふ。今思ふに然あらず。世間の賢すらなを民俗にしたがふことをけがれたることと云ひて、
屈原の如きんば世はこぞって皆よへり我は独りさめたりとて、民俗に随はずして、糾に滄浪に没す。況や仏法は事と事とみな世俗に違背せるなり。俗は髪を飾る、
僧は髪を剃る。俗は多く食す、僧は一食す。皆そむけり。然して後に還て大安楽の人となるなり。故へに僧は一切世俗にそむけるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
現代の僧侶は世間の常識に従うのが良いと言っている。しかし、私の考えは違うのです。世間でも、賢者は世間の常識に従うのは汚れたことであると言っています。
例えば、屈原は「世間のものは皆、酔っている。私一人が酔っていなくて、覚めている」と、言って滄浪に身を投じて死にました。ましてや仏法は悉く世間の常識と異なっています。
俗人は髪を飾るが、僧は髪を剃る。俗人は一日に何回も食事をするが、僧は一度、食事をする。かくの如く皆、違っているから無上の大安楽の人となれるのです。
故に僧侶は一切、世間の常識に背くべきなのです。
二十四
一日示して云く、治世の法は、上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す。其の人にあらずして其の官に居するを乱天の事と云ふ。
政道が天意にかなふ時は世すみ民やすきなり。故に帝は三更の三点に起させ給ひて治世の時としましませり。たやすからざることなり。
仏の法も只職のかはり業の異なるばかりなり。国王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣をもとめて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり。
若し是を怠れば天に背き世乱れ民苦るしむなり。其れより以下、諸の公卿大夫士庶民皆各の司どる所ろの業あり。其れに順ふを人とは云なり。
其れに背くは天事を乱る故に天の刑を蒙るなり。然あれば仏法の学人も、世を離れ家を出ればとて徒らに身を安すんぜんと思ふこと片時もあるべからず。
初めは利あるに似たれども後には大いに害あるなり。出家の作法に順て全く其の職を治め其の業を修すべきなり。世間の治世は先規有道をかんがへ求れども、
先聖先達のたしかに相伝したる例なければ自ら其の時の例に随ふこともあれども、仏子はたしかなる先規教文顕然なり。亦相承伝来の知識現在せり。我れに思量あり。
四威儀の中において、いちいちに先規を思ひ先達に随ひ修行せんになじかは道を得ざるべき。俗は天意に合はんと思ひ、納子は仏意に合はんと思ふ。
修業ひとしくして得果すぐれたれば一得永得ならん。かくの如く大安楽の為に、一世幻化の此身を苦しめて仏意に随んは、唯行者の心にあるべし。
然ありと云へども亦そゞろに身を苦しめなすべからざることをなせと仏教には勧むることなきなり。戒行律儀に随がひ以てゆけば、自然に身やすく行儀も尋常に人めもやすきなり。
ほどに只今案の我見の身の安楽を捨てて、ー向に仏制に順ずべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
禅宗では、先代からの決まった教えや言葉が伝わっています。また、悟られた優れた人物が現存しています。それらの人物に従って修行するならば、必ず悟りを開くことができます。
一度悟れば永久に失うことのない大安楽な気持ちとなれます。
この世の無常に身を苦しまさないで、み仏の心にかなうようにすることを修行者は心がけなくてはなりません。
戒律に従って修行するならば、自ずと身体もよくなり、振る舞いもよくなるものです。自分勝手な考えを捨てて、ひたすら仏の定めた決まりに随順してゆくべきです。
二十五
亦云く、我れ大宋天童禅院に寓居せし時、浄老宵には二更の三点まで坐禅し、暁は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裡に坐す。
一夜も懈怠なし。其の間だ、衆僧多く眠る。長老巡り行て睡眠する僧をば或ひは拳を以て打ち、或ひは履をぬいで打ち、恥かしめ進めて眠りを醒す。
猶を眠る時は照堂に行て鐘を打ち、行者を召し蝋燭をともしなんどして、卒時に普説して云く、僧堂裡に集り居て徒らに眠りて何の用ぞ。然あらば何ぞ出家して入叢林するや。
見ずや、世間の帝王官人、何人か身をたやすくする。君は王道を治め臣は忠節を尽し、乃至庶民は田を開き鍬を取るまでも何人かたやすくして世を過す。
是れをのがれて叢林にいって空く時光を過して、畢竟じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なりと教家も禅家も同く勧む。今夕明旦如何なる死をか受け如何なる病をかうけん。
且く存ずるほど、仏法を行ぜず、睡り臥して空く時を過すこと最も愚なり。かくの如くなる故に仏法は衰へ行くなり。諸方仏法の盛んなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせしなり。
近代諸方坐禅を勧めざれば仏法澆薄しゆくなりと。かくの如くの道理を以て衆僧をすゝめて坐禅せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり。今の学人も彼の風を思ふべし。
亦或る時き、近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧、眠りつかれて或ひは病ひ起り退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禅の時剋を縮められばやと申しければ、
長老大に嗔りて云く、然あるべからず。無道心の者の仮令に僧堂に居するは半時片時なりとも猶を眠るべし。道心ありて修行の志し有らんは、
長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり。我れ弱かゝりし時諸方の長老を歴観せしに、ある長老此の如く勧めて云く、已前は眠る僧をば拳も欠なんとするほどに打ちたるが、
今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出来らざるなり。諸方の長老も坐を緩く勧る故に仏法は衰微せるなり。
我は弥よ打べきなり、とのみ示されしなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
私が宋国の天童山で修行していた時には如浄禅師が住持であったのです。修行僧は明け方の二時頃に起きて、如浄禅師と共に坐禅したものです。
坐禅している多くの僧は居眠りをしました。如浄禅師はそのような僧を見ると、拳骨や履で殴ったものです。それでも眠っている僧がいるときには、僧堂の裏につれて行かれて、
説法を始められたものです。「僧堂で居眠りをして何になる。君たちは何で出家して、禅道場に入ったのか。
世間では帝王から庶民にいたるまで苦労しないで身を安楽にしている者がいるか。帝王は帝王たる道を修め農業者は田んぼを掘り起こし鍬をふるって耕している。
苦労していない者などいない。君たちは世間の苦労を逃れて禅道場に入りながら、むなしく時を過ごして、どうするのですか。生死事大・無常迅速なり。
このことを常に念頭において修行しなさい。今晩や明日に死ぬかも知れないし、大病を患うかも知れないのです。暫くこの世に存する間、仏法を行ぜず居眠りをして、
時を過ごすのは、愚か者たちの所業である。仏法が盛んであったときは、どこの寺院でも、ひたすら坐禅に励んだものです。近頃、禅寺で、坐禅をおろそかにしているために、
仏法は衰えてしまったのです。」私は如浄禅師がこのように皆を励まして、坐禅をさせていた様子を見てきました。
今、仏法を学ぶ者は、このような如浄禅師の行いを思いうかべて坐禅に励むべきです。
二十六
亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。
しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て仏法を計校する間は、万劫千生得べからず。
心を放下して知見解会を捨る時得るなり。見色明心聞声悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨て只管打坐すれば道は親しみ得なり。
然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依て坐を専らにすべしと覚へて勧むるなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
悟りを得るというのは心で得るのか、身で得るのかという問題ですが。儒教の教えにも身心一如という教えがあります。しかし、その教えでは、心で得ても、
身に及ばないことがあるでしょう。禅宗は、身心ともに得るのです。禅宗では心のはからいを一切捨てて、ひたすら坐禅すれば身も整って、自ずと心も整うことになるのです。
正法眼蔵随聞記第三
侍者懐奘編
一
示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。古人云く、百尺竿頭如何進歩と。然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、
つよく取つく心のあるなり。其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて一身の活計に到るまで、
思ひすつべきなり。其れを捨てざらんほどはいかに頭燃を払ふて学道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり。たゞ思ひ切て身心ともに放下すべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
禅を修行する者は身心を打ち放すべきです。例えば高い竿に登って先端から身を投げ出す思いをすべきです。身を投げださば死ぬと思ってしがみつくのは、
世間の業から離れないからです。そんなに我に執着していれば、悟りを得ることは難しいでしょう。ただ身心ともに放下すべきです。
二
有る時、さる比丘尼問て云く、世間の女房なんどだにも仏法とて勤学す。比丘尼の身には少少の不可ありとも、何ぞ仏法にかなはざるべきと覚ゆ。いかんと。
示して云く、此の義、然あらず。在家の女人は其の身ながら仏法を学して得る事はありとも、出家の人、出家の心なからんは得べからず。仏法の人を択ぶにはあらず、
人の仏法に入らざればなり。出家在家の義其の心ろ異なるべし。在家人の出家人の心あるは出離すべし、出家人の在家人の心あるは二重のひがことなり。
用心大に異なるべきことなり。作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり。出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれども、能くする人まれなればなり。
生死事大なり、無常迅速なり。心を緩くすることなかれ。世を捨てば実とに世を捨つべきなり。仮名はいかにてもありなんとおぼゆるなり。
訳
或る時、尼僧が問われた。女の身にて仏法を学ぶのは良いのでしょうか、悪いのでしょうか。
道元禅師は教えて言われた。
在家の女性は仏法を学んで得ることもあります。出家して尼僧になったならば、在家の女性と同じ心構えで仏法を学んではなりません。
出家したならば、世間で持っていた執着を捨てて修行するべきです。今、修行しなかったら、いつの日にするのでしょうか。無常迅速・生死事大です。
このことを、よくよく思いなさい。
三
夜話に云く、今時世人を見る中に、果報もよく家をも起す人は、皆心の正直に人の為によき人なり。故に家をも保ち子孫までも昌ゆるなり。
心に曲節ありて人の為に悪き大は、設ひ一旦は果報もよく家を保てる様なれども、終にはあしきなり。設ひ亦一期は無事にして過す様なれども、子孫必ず衰微するなり。
亦人のために善きことをして、其の人によしと思はれ喜びられんと思ふてするはあしきに比すれば勝ぐれたるに似たれども、
猶を是は自身を思ふて人のために真によきにはあらざるなり。其の人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至未来までも誰れが為と思はざれども、
人の為によからん事をしをきなんどするを誠との善人とは云ふなり。況や衲僧は是にこへたる心をもっべきなり。衆生を思ふ事親疎を分かたず、
平等に済度の心を存じ、世出世間の利益すベて自利を思はず人にも知られず喜こびられずとも、只人の為によきことを心の中に作して、
我れはかくの如くの心もちたると大に知られざるなり。此の故実はまづ世を捨て身を捨つべきなり。我が身をだにも真実に捨てぬれば、
人によく思はれんとおもふ心は無きなり。しかあればとて亦人はなにとも思はゞ思へとて、悪しきことを行じ放逸ならんは亦仏意に背くなり。
只よき事を行じ人の為に善事をなして代りを得んと思ひ我が名を顕はさんと思はずして、真実無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るる、第一の用心なり。
此の心を存ぜんと思はゞまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し。光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど、
いささかのことにつけても人の為によく仏意に順はんと思ふべきなり。
訳
道元禅師は教えて言われた。
俗世間の人の家が栄えるのは、その人の心が正直であるからです。自分の家のみが栄えることを望んで行為する人は、一時的には家が栄えても、次第に衰えてしまします。
俗世間でも、このように我執を離れて行為すつ事が大切であることをあらわしています。
出家僧なら、なおさら我執を離れて修行することが大切なことです。このような心構えで修行するならば悟りが得られると思います。
我執を離れるには無常を思うことです。我らの生は夢の如く消えやすいものです。
四
夜話に云く、学道の大は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ瞋恚恥辱の二つの難定めて来るなり。宝らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、
瞋恚たちまちに起る。或は是を論じて問答対決に及びつゐには闘諍合戦をいたす。かくの如くのあひだに瞋恚も起り恥辱も来るなり。
貧にして貪ぼらざる時は先づ此の難を免れて安楽自在なり。証拠眼前なり。教文を待べからず。爾のみならず古聖先賢是を謗り諸天仏祖皆な是を恥かしむ。
然あるに愚痴なる大は財宝を貯へそこばくの瞋恚をいだくこと、恥辱の中の恥辱なり。貧しふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸仏諸祖の喜ぶ所ろなり。
近来仏法の衰微しゆくこと眼前にあり。予始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、
各各器物を持し美服を好み財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊礼拝等の衰微することを以て思ふに、余所も推察せらるゝなり。
仏法者は衣盂の外に財宝等を一切持べからず。なにを置んが為に塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物をばもつべからざるなり。
盗賊等を怖るる故にこそかくし置んと思へ、捨て持たざれば還てやすきなり。人をば殺すとも人には殺されじと思ふ時こそ、身も苦しく用心もせらるれ、
人は我れを殺すとも我れは報を加へじと思ひ定めつれば、用心もせられず盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ならずと云ふことなし。
五
一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき。この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり。有時夜る方丈に参じて、
焼香礼拝して云く、請ずらくは某甲に後堂首座を許せと。時に禅師、流涕して云く、我れ小僧たりし時より未だ此の如きの事を聞かず。
汝坐禅僧として首座長老を所望すること、大ひなる錯なり。なんぢ既に悟道せること、我れにも越へたり。然あるに首座を望むこと、是れ昇進の為か。
許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし。その心操卑劣なり。誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり。仏法の衰微せること、是を以て知ぬべしと云ふて、
流涕悲泣す。是れに愧て辞すといへども猶終に首座に請ず。其の後元首座、此の詞ばを記録して自らを愧しめて師の美言を顕はす。今ま是を案ずるに、
昇進を望み物のかしらとなり長老とならんと思ふことをば、古人是を慙ぢしむ。只道を悟らんとのみ思ふて、余事あるべからず。
六
有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり。破損せる故へに湿気あがり、風霧冷かにして玉体おかされつべし。臣下等造作すベき由を奏しければ、
帝の言く、時き農節なり。民定めて愁ひあるべし。秋を待て造るべし。湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり。天地に背かば身あるべからず、
民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし。天地に合はゞ身を侵すべからずと云ふて、終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり。俗すら猶かくの如く民を思ふこと自身に超へたり。
況や仏子は如来の家風を受て、一切衆生を一子の如くに憐むべし。我に属する侍者、所従なればとて呵嘖し煩はすべからず。
いかに況や同学等侶、耆年宿老等をば恭敬すること、如来の如くすベしと、戒文分明なり。然あれば今の学人も、大には色にいでゝ知られずとも、
心の内に上下親疎を分たず、人の為によからんと思ふべきなり。大小の事につけて人を煩はして人の心を破ること有るべからざるなり。
如来在世に外道多く如来を謗り悪みき。仏弟子問て云く、如来はもとより柔和を本とし慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すべし、何か故にか此の如く随はざる衆生あるや。
仏の言く、吾れ昔し衆を領ぜし時、多く呵嘖羯磨を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しとヽ律の中に見へたり。然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領じたりとも、
弟子の非をたゞしいさめん時、呵嘖の詞ばを用ひるべからず。たゞ柔和の詞ばを以て誡め勧むとも随ふべくんば随ふべきなり。
況や学人親族兄弟等の為にあらき言ばを以て人を悪く呵嘖することは、一向にやむべきなり。能々意を用ふべし。
六
有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり。破損せる故へに湿気あがり、風霧冷かにして玉体おかされつべし。臣下等造作すベき由を奏しければ、帝の言く、
時き農節なり。民定めて愁ひあるべし。秋を待て造るべし。湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり。天地に背かば身あるべからず、
民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし。天地に合はゞ身を侵すべからずと云ふて、終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり。俗すら猶かくの如く民を思ふこと自身に超へたり。
況や仏子は如来の家風を受て、一切衆生を一子の如くに憐むべし。我に属する侍者、所従なればとて呵嘖し煩はすべからず。いかに況や同学等侶、
耆年宿老等をば恭敬すること、如来の如くすベしと、戒文分明なり。然あれば今の学人も、大には色にいでゝ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、
人の為によからんと思ふべきなり。大小の事につけて人を煩はして人の心を破ること有るべからざるなり。如来在世に外道多く如来を謗り悪みき。仏弟子問て云く、
如来はもとより柔和を本とし慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すべし、何か故にか此の如く随はざる衆生あるや。仏の言く、吾れ昔し衆を領ぜし時、
多く呵嘖羯磨を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しとヽ律の中に見へたり。然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領じたりとも、弟子の非をたゞしいさめん時、
呵嘖の詞ばを用ひるべからず。たゞ柔和の詞ばを以て誡め勧むとも随ふべくんば随ふべきなり。況や学人親族兄弟等の為にあらき言ばを以て人を悪く呵嘖することは、
一向にやむべきなり。能々意を用ふべし。
七
亦示して云く、納子の用心は仏祖の行履を守るべし。第一には、先づ財宝を貪ぽるべからず。其の故は如来の慈悲深重なること、喩へを以ても量り難し。
然あるに彼の所為行履、皆是れ衆生の為なり。一微塵計りも衆生の為に利益ならざるべき事を行はせ給はず。其の故は仏は是れ輪王太子にてましませば、
即位し給ひて一天をも御意にまかさせたまひ宝を以て弟子を憐れみ所領を以て弟子をはごくみ給ふべきに、何に故に位を捨てゝ自ら乞食を行じ給ふや。
是決定末世の衆生の為にも弟子の行道のためにも利益となる因縁あるべき故に、財宝を貯へず乞食を行じおき紿へり。爾しよりこのかた、天竺漢土の祖師の、
よきと人にも知られしは、みな貧窮乞食なさしめ給ふなり。況や我が門の祖師皆な財宝を貯ふべからずとのみ勧むるなり。教家にも此宗を讃ずるには先づ貧をほめ、
伝来の書録にも貧を記してほむるなり。いまだ財宝に富み豊かにして仏法を行ずるとは聞かず。皆よき仏法者と云は、或は布衲衣常乞食なり。
禅門をよき宗と云ひ禅僧を他に異なりとする、初の興りはむかし教院律院等に雑居せし時にも、身を捨てゝ貧人なるを以てなり。宗門の家風先づ此のことを存知すべし。
聖教の文理を待べきにあらず。我身も田園等を持たる時もありき。亦財宝を領ぜし時もありき。彼の時の身心と此のころ貧ふして衣盂にともしき時とを比するに、
当時の心すぐれたりと覚ゆる、是れ現証なり。
八
亦云く、古人の云く、不似其人莫語其風と。云心ろは其の人の徳を学ばず知ずして、其の人の失あるを見て、其の大はよけれども其の事は悪しさよ、
悪き事をよき人もするかなと思ふべからずとなり。只其の人の徳を取て失を取ることなかれ。君子は徳を取て失を取らずと云ふは、此の心ろなり。
九
一日示して云く、人は必ず陰徳を修すべし。陰徳を修すれば必ず冥加顕益あるなり。設ひ泥木塑像の麁悪なりとも仏像をば敬ふべし。
黄巻赤軸の荒品なりとも経教をば帰敬すべし。破戒無慚の僧侶なりとも僧体をば仰信すべし。内心に信心を以て敬礼すれば必ず顕福を蒙るなり。
破戒無慙の僧、疎相の仏、麁晶の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を蒙るなり。然あるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像経巻僧侶なり。
故に帰敬すれば必ず益あり。不信なれば罪を受るなり、いかに希有に浅猿くとも三宝の境界をば帰敬すべきなり。禅僧は善を修せず功徳を用ひずと云ふて、
悪行を好むは究めたるひが事なり。先規いまだ悪行を好むことをきかず。丹霞天然禅師は木仏を焼く、是れらこそ悪事と見へたれども、一段の説法の施設なり。
彼の師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず礼あり、常に貴き賓客に向へるが如し。暫時の坐にも必ず跏趺して叉手す。
常住物を守ること眼睛の如くす。勤修するものあれば必ずこれを賀す。少善なれども是を重くす。常途の行状、ことに勝れたり。
彼の記をとゞめて今の世までも叢林の亀鑑とするなり。爾のみならず、諸々の有道の師、先規悟道の祖を見聞するに、皆戒行を守り威儀をととのへ、
設ひ少善といへども是を重くす。いまだ悟道の師の善根を忽諸することを聴かず。故に学人祖道に随はんと思はゞ、必ず善根を軽しめざれ。信仰を専らにすべし。
仏祖の行道は必ず衆善の聚まる処なり。諸法皆仏法なりと通達しつる上は、悪は決定悪にして仏祖の道に遠ざかり、善は決定善にして仏道の縁となると知るべし。
若しかくの如くならばなんぞ三宝の境界を重くせざらんや。
十
亦云く、今ま仏祖の道を行ぜんと思はゞ、所期も無く所求も無く所得もなふして、無利に先聖の道を行じ祖祖の行履を行ずべきなり。
所求を断じ仏果を望むべからざればとて、修行を止め本の悪行に住まらば、却て是れ本の所求にとゞまり本の棄臼に堕するなり。
全く一分の所期を存ぜずして只人天の福分とならんとて、僧の威儀を守り、済度利生の行履を思ひ、衆善をこのみ修して、本の悪をすてて、今の善にとゞこほらずして、
一期行じもてゆかば、是を古人も打破漆桶底と云ふなり。仏祖の行履と云は此の如くなり。
十一
一日僧来て学道の用心を問ふ。次でに示して云く、学道の人は先須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。
在家学道のもの猶を財宝にまとはり居処をむさぼり眷属に交はれば、設ひ其の志しありと云へども障道の因縁多し。古来俗人の参学する多けれども、
其の中によしと云ふも猶を僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財宝をもたず、居処を思はず、衣食を貪らざる間だ、一向に学道すれば分分に皆得益あるなり。
其のゆへは貧なるが道に親きなり。寵公は俗人なれども僧におとらず、禅席に名をとゞめたるは、かの人参禅のはじめ家の財宝を持ち出して海に沈めんとす。
人是れを諌めて云く、人にも与へ仏事にも用ひらるべしと。時に他に対して云く、我已に冤なりと思ひて是れを捨つ。冤としりて何ぞ人に与ふべき。
宝らは身心を愁へしむるあたなりと云ひて、つゐに海に入れ了りぬ。然ふして後ち、活命の為には笊をつくりて売て過けるなり。俗なれどもかくの如く財宝を捨ててこそ、
善人とも云れけれ。いかに況や僧は一向にすつべきなり。
十二
僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祗物あり常住物等ありて置れたれば、僧の為に行道の資縁となりて其の煩ひなし。此の国は其の義なければ、
一向捨棄せられては中中行道の違乱とやならん。かくの如くの衣食資縁を思ひあてゝあらばよしと覚ゆ、いかん。
示して云くヽ然あらず。中中唐土よりは此の国の人は無理に僧を供養じ非分に人に物を与ふることあるなり。先づ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり。
一切一物をも持たず。思ひあてがふことも無ふして、十余年過ぎ了りぬ。一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ。僅の命をいくるほどのことは、
いかにと思ひ貯へざれども天然としてあるなり。人皆な生分あり、天地是れを授く。我れ走り求めざれども必ず有なり。況や仏子は如来遺嘱の福分あり、不求自得なり。
只一向にすてゝ道を行ぜば、天然これあるべし。是れ現証なり。
十三
亦云く、学道の人、多分云ふ、若し其のことをなさば世人是を謗ぜんかと。此の条太だ非なり。世間の大いかに謗ずるとも、
仏祖の行履、聖教の道理にてだにもあらば依行すべし。設ひ世大挙つてほむるとも、聖教の道理ならず、祖師も行ぜざることならば、依行すべからず。
其れ故に世人の親疎我れをほめ我れを誹ればとて彼の人の心ろに随ひたりとも、我が命終の時悪業にも引れ悪道へ落なん時、彼の人いかにも救ふべからず。
亦設ひ諸人に謗ぜられ悪まるゝとも、仏祖の道に依行せば、真実に我れをたすけられんずれば、人の謗ずればとて道を行ぜざるべからず。亦かくの如く謗じ讃ずる人、
必ずしも仏祖の行を通達し証得せるにあらず。なにとしてか仏祖の道を世の善悪を以て判ずべき。然あれば世人の情には順ふべからず。
只仏道に依行すべき道理ならば一向に依行すべきなり。
十四
亦ある僧云く、某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲が扶持に依りて度世す。恩愛もことに深し。孝順の志しも深し。
是れに依ていさゝか世に随ひ人に随ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ。我れ若し遁世籠居せば母は一日の活命も存じ難し。
是れに依て世間にありて一向仏道に入らざらんことも難事なり。若し猶も捨てゝ道に入るべき道理あらば其の旨いかなるべきぞ。
示して云く、此こと難事なり。他人のはからひに非ず。たゞ自ら能々思惟して誠に仏道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて母儀の安堵活命をも支度して仏道に入らば、
両方倶によき事なり。切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き宝らなれども、切に思ふ心ふかけれぱヽ必ず方便も出来る様あるべし。
是れ天地善神の冥加もありて必ず成ずるなり。曹渓の六祖は新州の樵人にて薪を売て母を養ひき。一日市にして客の金剛経を誦するを聴て発心し、
母を辞して黄梅に参ぜし時、銀子十両を得て母儀の衣糧にあてたりと見ゑたり。是れも切に思ひける故に天の与へたりけるかと覚ゆ。能々思惟すベし。
是れ最ともの道理なり。母儀の一期を待て其の後障碍なく仏道に入らば次第本意の如くにして神妙なり。しかあれども亦知らず、老少不定なれば、
若し老母は久くとゞまりて我は先に去ること出来らん時に、支度相違せば、我れは仏道に入らざることをくやみ、老母は是れを許さゞる罪に沈て、
両人倶に益なふして互に罪を得ん時いかん。若し今生を捨てて仏道に入りたらば、老母は設ひ餓死すとも、一子を放るして道に入らしめたる功徳、
豈に得道の良縁にあらざらんや。尤も曠劫多生にも捨て難き恩愛なれども、今生人身を受て仏教にあへる時捨てたらば、真実報恩者の道理なり。
なんぞ仏意にかなはざらんや。一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思ふて永劫安楽の因を空く過さんやと云道理もあり。是らを能々自ら計らふべし。
正法眼蔵随聞記第四
侍者懐奘編
一
一日参学の次でに示して云く、学道の人は、自解を執することなかれ。設ひ会する所ろありとも、若し亦決定よからざる事もやあらん、亦是よりもよき義もやあらんと思ふて、
広く知識をも訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり。亦先人の言なりともかたく執する事なかれ。若し是もあしくもやあるらん、信ずるにっけてもと思て、
次第にすぐれたる事あらば其れにつくべきなり。
二
亦云く、南陽忠国師、問紫憐供奉甚処来。奉云、城南来。師云、城南艸作何色。奉云、作黄色。師乃問童子、城南艸作何色。子云、作黄色。
師云、祇這童子亦可簾前賜紫対御談玄。しかあれば童子も国皇の師として真色を答ふべし。汝が見所常途に超へずとなり。後来有人の云く、供奉が常途に超へざる過、
甚れの処にかある。童子も同く真色を説く。是れこそ真の知識たらめと云て、国師の義を用ひず。故に知ぬ、必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存ずべきなり。
疑心はあしき事なれども、亦信ずまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり。
三
亦示して云く、学人の第一の用心は先づ我見を離るべし。我見を離ると云ふは、此の身を執すベからず。設ひ古人の語話を究め常坐鉄石の如くなりとも、
此の身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからず。いかに況や、権実の教法、顕密の正教を悟り得たりと云とも、
身を執するこころを離れずんば徒らに他の宝を数えて自ら半銭の分なし。只請ふらくは学人静坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし。
身体髪膚は父母の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執せん。況や法を以て見れば、十八界の聚散、
いづれの法をか決定して我が身とせん。教内教外別なりとも、我が身の始終不可得なることを行道の用心とすること、是れ同じ同じ。
先づ此の道理に達すればまことの仏道顕然なるものなり。
理に達すれば寔の仏道顕然なるものなり。
四
一日示して云く、古人云く、親近 善者如霧露中行雖不湿衣時時有潤。謂ふ心は、善人になるれば覚ゑざるに善人となるなり。
昔し倶胝和尚に仕へし一人の童子のごときは、いつ学しいつ修したりとも見へず覚へざれども、久参に近づいたる故に悟道す。
坐禅も自然に久くせば忽然として大事を発明して、坐禅の正門なることを知るべきなり。
五
嘉禎二年臘月除夜、始て懐奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次で、初て秉払を首座に請ふ。是れ興聖寺最初の首座なり。小参の趣きは、
宗門の仏法伝来の事を挙揚するなり。初祖西来して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に神光来参しき。
初祖最上乗の器なりと知て接得して、衣法共に相承伝来して、児孫天下に流布し、正法今日に弘通す。当寺始て首座を請じ、今日初て秉払を行なはしむ。
衆の少きを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽は僅に六七人、薬山は十衆に満たざるなり。然あれども皆仏祖の道を行じき。
是を叢林のさかんなると云き。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ浅深あり賢愚あらん。
花は年年に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者尽く証道するにあらず。たゞ久参修持の功により、弁道勤労の縁を得て、
悟道明心するなり。是れ竹の声の独り利なるにあらず。亦花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて声を起こす。
花の色ろ美なりと云へども独り開くるにあらず、春風を得て開るなり。学道の縁もまたかくの如し。此の道は人人具足なれども、道を得る事は衆縁による。
人人利なれども、道を行ずることは衆力を以てす。ゆゑに今ま心をひとつにし志をもっぱらにして、参究尋みゃくすべし。玉は琢磨によりて器となる。
人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ。
古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとゞまるか。惜めどもとゞまらざるか。すべからくしるべし。時光は空くわたらず、人は空くわたることを。
人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に学道せよと云ふなり。かくのごとく参究を同心にすべし。我れ独り挙揚するも容易にするにあらざれども、
仏祖行道の儀、大概みなかくの如くなり。如来の開示に随ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下することなかれ。
洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すべしと云て、座を下て後ち再び鼓を鳴らして首座秉払す。是れ興聖最初の秉払なり。懐奘三十九の歳なり。
六
一日示して云く、俗人の云く、何人か好衣を望まざらん、誰人か重味を貪ぼらざらん。然あれども道を存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り寒むきをも忍び飢へをも忍ぶ。
先人苦るしみなきに非ず、是れを忍びて道を守ればなり。後人是れを聴て道を慕ひ徳を仰ぐなり。俗すら賢なるは猶をかくの如し。仏道豈に然らざらんや。
古人もみな金骨にはあらず。在世もことごとく上器にはあらず。大小の律蔵によりて諸の比丘をかんがふるに、不可思議の不当の心を起すもありき。
然あれども後には皆得道し羅漢となれりと見へたり。しかあれば我れらも賤く拙なしと云ふとも、発心修行せば決定得道すべしと知て、即ち発心するなり。
古へも皆な苦を忍び寒にたゑて、愁ひながら修行せしなり。今の学者苦るしく愁るとも只しひて学道すべきなり。
七
示して云く、学道の人、悟を得ざることは即ちたゞ旧見を存ずるゆへなり。本より誰がおしへたりとも知らざれども、心と云は念慮知覚なりと思ひ、
心は草木なりと云へば信ぜず。仏と云へば相好光明あらんずると思ふて、仏は瓦礫と説けば耳を驚かす。かくのごときの執見、父も相伝せず、母も教授せず、
只無理自然に久く人のことばにつきて信じ来れることなり。然あれば今も仏祖決定の説なれば、あらためて心は艸木と云はば便艸木を心と知り、
仏は瓦礫といはゞ瓦礫を便ち仏なりと信じて、本執をあらため去らば、道を得べきなり。古人の云く、日月あきらかなれども浮雲是れをおほふ、
叢蘭茂せんとすれども秋風吹て是れをやぶると。貞観政要にこれを引て、賢王と悪臣とに喩ふ。今ま云く浮雲おほふとも久しからず。秋風破ぶるとも亦開くべし。
臣わるくとも王の賢強くんば転ぜらるべからず。今ま仏道を存ぜんことも亦かくの如くなるべし。いかに悪心おこるとも、かたく守り久く保たば、
浮雲もきえ秋風も止まるべきの道理なり。
八
一日示して云く、学人初心のときは、道心ありても無ても、経論聖教等を能々見るべし、まなぶべし。我れ始てまさに無常によりて聊か道心を発し、
終に山門を辞して遍く諸方を訪ひ道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず善友なき故に、迷て邪念を起しき。教道の師も、
先づ学問先達にひとしくしてよき人と成り国家にしられ天下に名誉せん事を教訓する故に、教法等を学するにも、先づ此の国の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、
大師等にも同じからんと思ひき。因に高僧伝続高僧伝等を披見して、大唐の高僧、仏法者の様子を見しに、今の師のおしへの如くにはあらず。
亦我が起せるやうなる心は皆経論伝記等にはいとひにくみけりと思ひしより、やうやく道理をかんがふれば、名聞を思ふとも、当代下劣の人によしと思はれんよりも、
只上古の賢者、向後の善人をはづべし。ひとしからんことを思ふとも、此国の人よりも唐土天竺の先達高僧をはぢて、彼にひとしからんと思ふべし。
乃至諸天冥衆諸仏菩薩等にひとしがらんとこそ思ふべけれと。この道理を得て後には此の国の大師等は土瓦の如くにおぼへて、従来の身心皆あらためき。
仏の一期の行儀を見れば、王位をすてゝ山林に入り、成道の後も一期乞食すと見へたり。律に云く、知家非家捨家出家と云云。古人云く、
奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと。云こころは、共に慢心なり。高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ。
安すふしても危からん事を忘るゝことなかれ。今日存ずるとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと脚下にあり。
九
示して云く、愚痴なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり。此こにつかはるる老尼公ありけるが、当時いやしげにして在るをはづる顔にて、
ともすれば人に向かっては、昔は上臘にてありしよしを語る。たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚へぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり。
皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり。道心の無きほども知られたり。是れらの心を改ためて少し人には似るべきなり。亦有る入道の究て無道心なるあり。
去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ。定て彼れ腹立して中をたがふことあらん。
然あれども道心を発さゞらんには得意にてもたがひに詮なかるべし。
十
示して云く、古へに三たび復さふして後に云へと。云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。
先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。宋土の賢人等の心ろは、三度び復さふずと云は、幾度も復せと謂ふ心なり。
言ばよりさきに思ひ、行よりさきに思ひ、思ふたびごとにかならず善ならば言行すべきとなり。衲子も亦必ず然かあるべし。
我が思ふことも言ふこともあしきことあるべき故に、まづ仏道に合ふや否やとかへりみ、自他の為に益ありやいなやと能々思ひかへりみて後に、
善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。行者若しかくのごとく心を守らば、一期仏意に背かざるべし。予昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆随分に三業を守て、
仏道の為め利他のために悪きことをば、云はじせじと各各志ざせしなり。僧正の徳の余残ありしほどはかくの如くなりき。今時は其の儀なし。今の学者しるべし。
決定して自他の為め仏道の為に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひもしは行ひもすべきなり。其の詮なきことは言行すべからず。宿老耆年の言行する時は、
末臘の人は言とばをまじゆべからず。是れ仏制なり。能々是れを思ふべし。身をわすれて道を思ふことは俗なを此の心ろあり。むかし趙の藺相如と云ひし者は、
下賤の人なりしかども、賢なるによりて趙王にめしつかはれて天下の事をおこなひき。趙王の使ひとして、趙璧と云玉を秦の国へつかはさしめたまふ。
彼の璧を十五城にかへんと秦王の云し故に、相如にもたせてつかはすに、余の臣下議して云く、是れほどの宝を相如ごときの賤人に持たせてつかはすこと、
国に人なきに似たり。余臣のはぢなり。後代のそしりなるべし。みちにて此の相如を殺して璧を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、
此のたびの使を辞して命を保つべしと云ひければ、相如云く、某がし敢て辞すべからず。相如王の使として璧を持て秦にむかふに、
佞臣の為に殺されたると後代に聞へんは、我ためによろこびなり。我が身は死すとも賢の名は残るべしと云て、終にむかひぬ。余臣も此の言ばを聴て、
我れら此の人をうちうることあるべからずとて、とゞまりぬ。相如ついに秦王に見へて璧を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき気色見へたり。時に相如、
はかりごとを以て秦王にかたりて云く、その璧にきずあり、我れ是れを示さんと云て、璧をこひ取て後に相如が云く、王の気色を見るに十五城を惜める気色あり、
然あらば我が頭べを以て此の璧を銅柱にあてきつちわりてんと云て嗔れる眼を以て王を見て銅柱のもとによる気色、まことに王をも犯しつべかりし。時に秦刹の云く、
汝ぢ璧をわることなかれ、十五城を与ふべし、あひはからはんほど汝ぢ璧を撚べしと云しかば、相如ひそかに人をして璧を本国へかへしぬ。
後に亦湯池と云ふ処にて趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり。秦王命じて弾ぜしむ。趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を弾じき。時に相如、
趙王の秦王の命に随へることを嗔て、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞んことをねがふ、吹たまふべしと云しかば、
秦王是れを辞す。相如が云く、王若し辞せば王をうっべしと云ふ。時に秦の将軍、剣を以て近づきよる。相如これをにらむに両目ほころびさけてげり。
将軍恐て剣をぬかずして帰りしかば、秦王ついに簫を吹ぐと云へり。亦後に相如大臣となりて天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣、
我れにまかさぬ事をそねみて相如をうたんと擬する時に、相如は処々ににげかくれ、わざと参内の時も参会せず、おぢおそれたる気色なり。
時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なんか故にかおぢかくれさせたまふと云ふ。相如が云く、我れ彼をおそるIにあらず。
我が眼を以て秦の将軍をも退け、秦の璧をも奪ひき。彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず。然あれどもいくさを起しつはものを集むることは敵国を防ぐためなり。
今ま左右の大臣として国を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して一人死せば一方欠くべし。然あらば隣国喜びていくさを起すべし。
かるがゆへに二人ともに全ふして国を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ。かの大臣、此のことばを聞てはぢて還て来り拝して、
二人共に和して国をおさめしなり。相如身をわすれて道を存ずることかくの如し。今ま仏道を存ずることも彼の相如が心の如くなるべし。
寧しろ道ありては死すとも道無ふしていくることなかれと云云。
十一
示して云く、善悪と云ふこと定め難し。世間の人は綾羅錦繍をきたるをよしと云ふ。そ布糞掃衣をわるしと云ふ。仏法には此れをよしとし清しとし、
金銀錦綾をわるしとしけがれたりとす。かくの如く一切のことにわたりて皆然り。予が如きも聊か韻声をとゝのへ文字をかきすぐるゝを俗人等は尋常ならぬことに云もあり。
亦有人は、出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり。いづれをか定めて善として取り悪としてすつべきぞ。文に云く、ほめて白晶の中にあるを善と云ふ、
そしりて黒品の中におくを悪と云ふと。亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと。かくの如く子細に分別して真実の善を見て行じ、
真実の悪を見てすつべきなり。僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとしきよきとするなり。
十二
示して云く、世間の人多分云く、学道のこゝろざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法の修行にはたゆべからず、只随分にやすきにつきて結縁を思ひ、
他生に開悟を期すべしと。今ま云ふ、此の言は全く非なり。仏教に正像末を立ること暫く一途の方便なり。在世の比丘必ずしも皆すぐれたるにあらず。
不可思議に希有にあさましく下根なるもあり。故に仏け種々の戒法等をまふけ玉ふこと、皆わるき衆生下根の為なり。人人皆な仏法の器なり。
かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず証を得べきなり。既に心あれば善悪を分別しつべし。手あり足あり合掌歩行にかけたる事あるべからず。
しかあれば仏法を行ずるには器をえらぶべきにあらず。人界の生は皆な是れ器量なり。余の畜生等の生にてはかなふべからず。学道の人只明日を期することなかれ。
今日今時ばかり仏法に随て行じゆくべきなり。
十三
示して云く、俗の云く、城を傾むくることは、中にささやき言と出来るに依るなりと。亦云く、家に両言ある時は針をも買ふことなし、
家に両言なき時は金をも買ふあたひあり俗猶を家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり。況や出家人は、
一師に学して水乳の和合せるが如くすべし。
亦六和敬の法あり。各の各の寮々をかまへて身をへだてゝ心ろ心ろに学道の用心することなかれ。一船にのりて海をわたるが如し。同心に威儀を同ふし、
たがひに非を改め、是に随て同く学道すべきなり。是れ仏在世より行じ来れる儀式なり。
十四
示して云く、楊岐山の会禅師はじめ住持の時、寺院旧損して僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと。会の云く、
堂閣破ぶれたりとも露地樹下にはまさるべし。一方破ぶれてもらば、一方のもらぬ処に居して坐禅すべし。堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、
金玉を以てもつくるべし。悟は居所の善悪にはよらず、只坐禅の功の多少にあるべしと。翌日の上堂に云く、
楊岐乍住屋壁疎、満床尽布雪真珠、縮却項暗嗟吁、良久云翻憶古人樹下居と。たゞ仏道のみにあらず、政道も亦かくの如し。唐の太宗はいやをつくらず。
竜牙云く、学道先須且学貧、学貧貧後道方親と云ふ。昔し釈尊より今に至るまで、真実学道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり。
十五
一日有る客僧問て云く、近代遁世の法は各の各の斎料等のことをかまへ用意して、後のわづらひなきやうに支度す。是れ小事なりと云へども学道の資縁なり。
かけぬればことの違乱出来る。今師の御様を承り及ぶには、一切其の支度なく只天運にまかすと。若し実にかくのごとくならば後時の違乱あらんか、いかん。
答て云く、事皆な先証あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の仏祖、皆かくの如し。白毫一分の福の尽る期あるべからず。何ぞ私に活計をいたさん。
亦明日の事はいかにすべしとも定め図り難し。此の様は仏祖のみな行じ来れる所ろにて私なし。若し事と闕如して絶食せば其の時にのぞんで方便をもめぐらさめ。
兼て是を思ふべきことにはあらざるなり。
十六
示して云く、伝へ聞く、実否は知らざれども、故持明院の中納言入道、あるとき秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、士ひの中に犯人ありけるを、
余の士ひ沙汰し出してまひらせたりしに。入道の云へらく、此れは我が太刀にあらず、ひがことなりとてかへされたり。決定その太刀なれども、
士の恥辱を思ふてかへされたりと人皆な是を知りけれども其の時は無為にしてすぎけり。故に子孫も繁昌せり。俗なを心ろある人はかくの如し。いはんや出家人、
必ずしも此の心あるべし。出家人はもとより身に財宝なければ、智慧功徳を以てたからとす。他の無道心なるひがことなんどを、
直に面てにあらはして非におとすべからず、方便を以て彼れのはらたっまじき様に云ふべきなり。暴悪なるは其の法久しからずと云ふ。設ひ法を以て呵嘖するとも、
あらき言葉なるは法も久しからざるなり。小人下器はいさゝかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり。大人上器には似るべからず。大人はしかあらず。
設ひ打たるれども報を思はず。今我国には小人多し。つつしまずんばあるべからざるなり。
正法隕蔵随聞記第五
侍者懐奘編
一
一日示して云く、仏法の為には身命を惜むことなかれ。俗猶を道の為には身命をすて、親族をかへりみず忠を尽し節を守る・是を忠臣とも云ひ賢者とも云ふなり。
昔し漢の高祖隣国といくさを起す時、ある臣下の母敵国にありき。官軍も二た心ろ有らんかと疑ひき。高祖も、かれ若し母を思ひて敵国へさることもやあらんずらん、
若しさあらば軍やぶるべしとてあやぶむ。爰に彼の母も、我が子もし我れによりて我が国へ来ることもやあらんかおもひ、誡ていはく、
われによりていくさの忠をゆるくすることなかれ、我れもしいきていたらば汝ぢ二だ心ろもやあらんと云ひて、剣に身をなげてうせてげり。
其の子本よりふた心ろなかりしかば、其のいくさに忠節を致す志し深かりけると云ふ。況や衲子の仏道を存ずるも、必しも二た心無き時、まことに仏道に契ふべし。
仏道には慈悲智慧本よりそなはる人もあり。設ひ無きひとも学すれば得なり。只身心を倶に放下して、仏法の大海に廻向して、仏法の教に任せて、
私曲を存ずることなかれ。亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理乱はなはの結ぼふれるを解が如し。急にすべからず。能々むすびめを見てとくべしと。
仏道も亦かくの如し。能々道理を心得て行ずべきなり。法門を能く心ろふる人は、必ず強き道心ある人よく心得なり。いかに利智聡明なる人も、
無道心にして吾我をも離れえず名利をも棄えぬ人は、道者ともならず、正理をも心ろ得ぬなり。
二
示して云く、学道の心は吾我の為に仏法を学することなかれ。只仏法の為に仏法を学すベきなり。其の故実は我が身心を一物ものこさず放下して、
仏法の大海に廻向すべきなり。其の後は一切の是非管ずることなく、我が心を存ずることなく、なし難く忍び難きことなりとも、仏法の為につかはれてしひて、
此れをなすべし。我が心に強てなしたきことなりとも、仏法の道理なるべからざる事は放捨すべきなり。穴な賢こ。仏道修行の功を以て、
かはりに善果を得んと思ふことなかれ。只一度仏道に廻向しつる上は再び自己をかへりみず、仏法のおきてに任せて行じゆひて、私曲を存ずることなかれ。
先証皆かくの如し。心にねがひ求ることなければ即ち大安楽なり。世間の人も、他にまじはらず己れが家ばかりにて生長したる人は、
心のままにふるまひ己が心を先として、人目をしらず、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり。学道の用心も亦かくのごとし。衆にまじはり師に順じて我見を立せず、
心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり。学道は先すべからく貧を学すべし。名をすて利をすて、一切諂らふことなく、万事なげすつれば、必ずよき道人となるなり。
大宋国によき僧と人にも知られたる人は、皆貧窮人なり。衣服もやぶれ諸縁も。乏しきなり。往日天童山の書記、道如上座と云し人は、官人宰相の子なり。
しかれども親族をも遠離し世利を貪らざりしかば、衣服のやつれ破壊したること目もあてられざりしかども、道徳人に知られて名巒大寺の書記とも成られしなり。
予あるとき如上座に問て云く、和尚は官人の子息にて富貴の種族なり、何ぞ身にちかづくる物皆下品にして貧窮なるや。如上座答て云く、僧となればなり。
三
一日示して云く、俗人の云く、宝はよく身を害する怨なり、昔も是れあり、今も是れ有りと。云ふこゝろは、昔し一人の俗人あり。一人の美女をもてり。
時に威勢ある人是を請ふ。彼の夫是を惜む。終に兵を起して其家を囲めり。既に奪ひ取れんとする時、夫が云く、我れ汝が為に命を失ふと。女が云く、
我れも夫の為に命を失はんと云て、高楼より落て死す。そののち彼の夫うちもらされて、後に物語りにせしとなり。亦云く、昔し一人の賢人、州吏として国政を行ふ。
時に息男あり。官事によりて父を辞し、拝して去る。時に父一疋の絹を与ふ。息の云く、君は高亮なり、此の絹いづくよりか得たるや。父云く、俸禄のあまりなりと。
息さりて皇帝に奉りまいらせてその由を奏す。帝太だ其の賢なることを感じたまふ。息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顕はす、真に父の賢勝れたりと。
此の心は、一疋の絹は是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞へたり。亦寔の賢人は名をかくす。俸禄なれば使用するよしを云ふなり。俗人猶を然り。
況や学道の衲子、私を存ずることなかれ。亦寔の道を好まば道者の名をかくすべきなり。亦云、仙人ありき。或人問て云く、如何がして仙を得ん。仙人の云く、
仙を得んと思はゞ仙道を好むべしと。然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ須く仏祖の道を好むべし。
四
示して云く、昔し国王あり。国を治て後ちに諸の臣下に問ふ。我好く国を治む、よく賢なりやと。諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと。時に一臣ありて云く、
帝は賢ならずと。帝の云く、故は如何。臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと。帝の心にかなはずしてをひ立られて後、亦一臣に問、朕よく仁なりや。
臣が云く、甚だ仁なり。帝の云く、其の故いかん。臣が云く、仁君には必ず忠臣あり。忠臣は直言あるなり。前きの臣太だ直言なり。是れ忠臣なり。仁君にあらずんば得じと。
帝是を感じて即ち前きの臣をめしかへさるゝなり。亦云く、秦の始皇のとき、太子の花園をひろめんとの玉ふ。臣の云く、最もよし、花園ひろふして鳥獣多く集りたらば、
鳥獣を以て隣国の軍を防ぐべしやと。是に依て其の事止まりぬ。亦宮殿を作り柱を漆にぬらんと言ふ。臣の云く、最も然るべし、柱をぬりたらんには敵とゞまらんかと。
然あれば其の事も止りぬ。儒教の心はかくのごとくたくみに言を以て悪事をとゞめ善事すすめしなり。衲子の人を化する意巧も其の心有べきなり。
五
一日僧問て云く、智者の無道心なると無智の有道心なると、始終いかん。答て云く、無智の有道心は終に退すること多し。智慧ある人は無道心なれども終には道心を起すなり。
当世も現証是れ多し。然あれば先づ道心の有無を云はず、学道を勤むべきなり。道を学せば只だ貧なるべし。内外の書籍を見るに、貧ふして居所もなく、或は滄浪の水に浮び、
或は首陽の山にかくれ、或は樹下露地に端坐し、或は塚間深山に卓菴する大もあり。亦富貴にして財多く、朱漆をぬり金玉をみがきて宮殿等を造るもあり。倶に典籍にのせたり。
然といへども後代をすゝむるには皆貧にして財なきを以て本とす。誹りて罪業を誡むるには、富て財多きを驕奢の者と云て誹れるなり。
六
示して云く、出家人は必ず人の施を受て喜ぶことなかれ。亦受ざることなかれ。故僧正の云く、人の供養を得て喜ぶは仏制にたがふ。喜ばざるは檀越の心にたがふ。
此の故実用心は、我に供養ずるに非ず、三宝に供養ずるなり。かるがゆへに彼の返事には、此の供養は三宝定て納受有るべしと言ふべきなり。
七
示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり、然あれども牛とあらそはずと。今の学人、我が智慧才学人に勝れたりと存ずるとも、人と評論を好むことなかれ。
亦悪口を以て人を呵嘖し、怒目を以て人を見ることなかれ。今時の人、多く財をあたへ恩を施せども、瞋恚を現じ悪口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり。
昔真浄文和尚、衆に示して云く、我むかし雲峰とちぎりをむすんで学道せしとき、雲峰同学と法門を論じ、衆寮にてたがひに高声に論談し、つゐには互に悪口に及び喧嘩しき。
評論巳にやんで雲峰我れに謂て云く、我と汝と同心同学なり、契約浅からず、何か故ぞ我れ人とあらそふに口入をせざるやと。我れそのとき揖して恐惶せるのみなり。
其の後彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。往日おもへらく、雲峰の論談、畢竟無用なり。況や評論は定りて僻事なり評ふて何の用ぞと思ひしかば、
我は無言にして止りぬと云云。今の学人も最もこれを思ふべし。学道勤労の志しあらば時光を惜て学道すべし。何の暇まありてか人と争論すべき。畢竟じて自他共に無益なり。
法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無益の論をなさんや。君子の力ら牛にも勝れりといへども牛と争そはず。我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、
論じて人を掠め難ずべからず。若し真実の学道の人ありて法を間はゞ、法を惜むべからず。為に開示すべし。然あれども猶それも三度問はれて一度答ふべし。
多言閑語することなかれ。我れも此の真浄の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるると思ひし故に、以後終に他と法門の評論せざるなり。
八
示して云く、古人多くは云ふ、光陰空く度ること莫れ。亦云く、時光徒らに過すことなかれと。今学道の人須く寸陰を惜むべし。露命消やすし、時光速かにうつる、
暫くも存ずる間だ余事を管ずることなかれ。唯須く道を学すべし。今時の人、或は父母の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命に背き難しと云ひ、或は妻子眷属に離れ難しと云ひ、
或は眷属等の活命存じ難しと云ひ、或は世人誹謗しつべしと云ひ、或は貧ふして道具調ひ難しと云ひ、或は悲器にして学道に堪えがたしと云ふ。かくのごとく識情を廻らして、
主君父母をも離れえず、妻子眷属をもすてえず、世情に随ひ財宝を貪ぼるほどに、一生空く過して、正しく命終の時に当ては後悔すべし。須く静坐して道理を案じ、
速かに道心を起さんことを決定すべし。主君父母も我に悟りを与ふべからず。妻子眷属も我が苦みを救ふべからず。財宝も我が生死輪廻を截断すべからず。
世人も我をたすくべきにあらず。非器なりと云て修せずんば何れの劫にか得道せんや。只須く万事を放下して一向に学道すべし。後時を存ずることなかれ。
九
示して云く、学道は須く吾我を離るべし。設ひ千経万論を学し得たりとも、我執を離れずんば終に魔境に落つべし。古人の云く若し仏法のなくん身心なくんば、
いづくんぞ仏となり祖と成らんと云云。我を離るると云は、我が身心を仏法の大海に拠向して、苦しく愁ふるとも仏法に随て修行するなり。若し乞食をせば、
人是をわるしみにくしと思はんずるなれど、かくのごとく思ふ間だはいかにしても仏法に入得ざるなり。世の情見をすべて忘れて、唯道理に任せて学道すべし。
我身の器量を顧み仏法に契ふまじなんど思ふも、我執を持たる故なり。人目を顧み人情を憚かるは、即ち我執の本なり。只仏法を学すべし。世情に随ふことなかれ。
十
一日奘問て云く、叢林勤学の行履と云は如何。
示して云く、只管打坐なり。或は楼上、或は閣下に定を営み、大に交はりて雑談せず、聾者の如く唖者の如くにして、常に独坐を好むべきなり。
十一
一日参の次に示して云く、泉大道の云く、風に向て坐し日に向て眠る。時の人の錦を被たるに勝りたりと云云。是の言は古人の語なりといへども少し疑ひあり。
時の人と云は世間貪利の人を云か。若し然らば敵対最も下れり。何ぞ云に足らん。若しは学道の人を云か。然らば何ぞ錦を被たるに勝れりと云ふや。此の心を察するに、
猶を錦を重もんずる心有かと聞へり。聖人は然あらず。金玉と瓦礫と、斉く執することなし。故に釈迦如来、牧牛女が乳粥を得て食し、馬麦を得て食す。いづれも等くす。
法に軽重なし、人に浅深あり。当世金玉を人に与ふれば、重しとして取らず。亦木石などをば軽として是を受て愛す。金玉もとより土の中より得たり。木石も大地より生ぜり。
何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば軽しとて愛せん。此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか。軽きを得ても愛する心あらば咎は等しかるべし。
是れ学人の用心すべき事なり。
十二
示して云く、先師全和尚、入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨重病起り、病床にしづみ既に死せんとす。其の時かの師云く、我既に老病起り死去せんこと近きにあり、
今度暫く入宋をとどまりたまひて、我が老病を扶けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとげらるべしと。時に先師弟子法類等を集めて議評して云く、
我れ幼少の時双親の家を出て後より、此の師の養育を蒙ていま成長せり。其の養育の恩最も重し。亦出ずの法門大小権実の経文、因果をわきまへ是非をしりて、
同輩にもこえ名誉を得たること、亦仏法の道理を知て今入宋求法の志しを起すまでも、偏に此の師の恩に非ずと云ことなし。然るに今年すでに老極して、重病の床に臥たまへり。
余命存じがたし。再会期すべきにあらず。故にあながちに是を留めたまふ。師の命もそむき難し。今ま身命を顧みず入宋求法するも、菩薩の大悲利生の為なり。
師の命を背て宋土に行ん道理有りや否や。各の思はるゝ処をのべらるべしと。時に諸弟人人皆云く、今年の入宋は留まらるべし。師の老病死已に極れり。死去決定せり。
今年ばかり留りて明年入宋あらば、師の命を背かず重恩をもわすれず。今ま一年半年入宋遅きとても何んの妨げかあらん。師弟の本意相違せず。入宋の本意も如意なるべしと。
時に我れ末ろうにて云く、仏法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるゝ儀ならばヽ御留り然あるべしと。先師に云く、然あるなり、仏法修行これほどにてありなん。
始終かくのごとくならば、即ち出離得道たらんかと存ずと。我が云く、其の儀ならば御留りたまひてしかあるべしと。時にかくのごとく各が総評し了て、先師の云く、おのおのゝ評議、
いづれもみな留まるべき道理ばかりなり。我れが所存は然あらず。今度留りたりとも、決定死ぬべき人ならば其に依て命を保つべきにもあらず。
亦われ留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからず。亦最後に我あつかひすゝめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらず。
只一旦命に随て師の心を慰むるばかりなり。是れ即ち出離得道の為には一切無用なり。錯て我が求法の志しをさえしめられば、罪業の因縁とも成ぬべし。
然あるに若し大宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば、一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬべし。此の功徳もしすぐれば、
すなはちこれ師の恩をも報じつべし。設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生生の願つきるべからず。玄奘三蔵のあとを思ふべし。
一人の為にうしなひやすき時を空く過さんこと、仏意に合なふべからず。故に今度の入宋一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき。先師にとりて真実の道心と存ぜしこと、
是らの道理なり。然あれば今の学人も、或は父母の為、或は師匠の為とて、無益の事を行じて徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしをきて、空く光陰を過すことなかれ。
時に奘問て云く、真実求法の為には有為の父母師匠の恩愛の障縁を一向にすつべき道理は、まことに然かあるべし。たゞし、父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、
亦菩薩の行を存ぜん時は、自利をさしをきて利他を先とすべきか。然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人、其の仁に当りたるを、
自らの修行ばかりを思ひて渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか。たゞ大士の善行をきらふべからず。縁に随ひ事に触れて仏法を存ずべきか。もしこれらの道理によらば、
亦止りてたすくべきか。何ぞ独り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん。示して云く、利他の行も、自利の行も、たゞ劣なる方を捨てゝ勝なる方をとらば、大士の善行なるべし。
老病を扶けんとて水菽の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛迷情の喜びばかりなり。迷情の有為に背いて無為の道を学せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし。
是を思へ是を思へ。
十三
一日示して云く、世間の人多く云ふ、某し師の言ばを聞けども我が心に叶はずと。此の言は非なり。知らず其のこころいかん。若しは聖教等の道理の我が心に違背して非なりと思か。
これは一向の凡愚なり。亦は師の云へる言が我が心に契はざるか。若し然あらばなんぞはじめより師に問ふや。亦日来の情見を以て云か。
もししかあらば是れは無始よりこのかたの妄念なり。学道の用心と云ふは、我が心にたがへども師の言ば聖教の言理ならば全く其に随て、本の我見をすててあらためゆくべし。
此の心が学道第一の故実なり。われ昔日、我が朋輩の中に我見を執して知識をとぶらひける者ありき。我が心に違するをば心得ずと云て、我見にあひかなふをば執して、
一生空くすぎて仏法を会せざりけり。我れそれを見て智発してしりぬ、学道は然あるべからずと。かく思ひて師の言ばに随て、全く道理を得て、其後看経の次でに、或る経に云く、
仏法を学せんと思はゞ三世の心を相続することなかれと。誠に知ぬ、さきの諸念旧見を記持せずして次第にあらためゆくべきなりと云ことを。書に云く、忠言逆耳。いふこころは、
我為に忠有べきことばは必ず耳に違するなり。違するとも強ひて随ひ行ぜば畢竟じて益有べきなり。
十四
一日雑談の次でに示して云く、人の心本より善悪なし。善悪は縁に随て起る。喩へば人発心して山林に入る時は、林下はよし人間は悪しとおぼゆ。
亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は悪しとおぼゆ。是れ即ち決定して心に定相なし。縁に随て兎も角もなるなり。かるが故に善縁にあへば心よくなり、
悪縁に近づけば心悪くなるなり。我が心本より悪しと思ふことなかれ。只善縁に随ふべきなり。
十五
亦云く、人の心は決定人の言ばに随ふと存ず。大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し。大是を見て、汝下劣なり、自ら手に物をもてり、と云を聞ておもはく、
珠はおしし、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ。思ひ煩ふて、猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云云。
人の心はかくのごとし。一定此の言ば我為によしと思へども、名聞にさへられてそれに順はざるもあり。亦一定我為にあしき事と思ひながらも、名聞の為なれば先づ随ふ人もあり。
悪にも善にも随ふときは、心は善悪につるるなり。故にいかにもとより悪き心なりとも、善知識に随ひ良人に馴るれば、自然に心もよくなるなり。悪人に近づけば、
我心にも初は悪しと思へども、終にその人のこゝろに随ひ、馴るほどにおぼへず、やがて実に悪く成なり。亦人の心ろ決定して他に物をとらせじと思へども、他人強てこひぬれば、
にくしとおもひいやながらも与ふるなり。亦決定して与へんと思へども、便宜なく時すぎぬれば、亦 やむ事も有なり。然あれば学人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、
同じ事をいくたびも聞見るべきなり。この言ば一度聞たらば重て聞べからずと思ふことなかれ。道心一度起したる人も、同じ事なれども聞たびごとに心みがゝれて、
いよいよ精進するなり。亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度度聞ぬれば霧露の中に行が如くいつぬるるとも覚へざれども自然に衣のうるほふが如くに、
良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り実の道心も起るなり。故に知たる上にも聖教をばいくたびも見るべし。師の言ばも聞たる上にも重て聞べし。
いよいよふかき心有べきなり。学道の為にさはりと成べき事をば重て是に近づくべからず。善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり。
十六
示して云く、大慧禅師、ある時尻に腫物出ぬれば、医師此を見て大事の物なりと云ふ。慧の云く、大事の物ならば死ぬべきや否や。医師云く、ほとんどあやふかるべし。
慧の云く、若し死ぬべくんば弥よ坐禅すベしと云て、猶を強て坐しければ、其の腫物うみつぶれて別の事なかりき。古人の心かくのごとし。病をうけては弥よ坐禅せしなり。
今の人病なふして坐禅ゆるくすべからず。病は心に随って転ずるかと覚ゆ。世間にしやくりする人に、虚言してわびつべき事を云つげぬれば、
それをわびしつべき事に思ひ心に入て陳ぜんとするほどに、忘れて其のしやくり留りぬ。我もそのかみ大宋の時、船中にて痢病せしに、悪風出来て船中さはぎける時、
やまふ忘れて止りぬ。是を以て思ふに学道勤労して他事を忘るれば、病も起るまじきかと覚るなり。
十七
示して云く、俗の野諺に云く、唖せず聾せざれば家公とならずと。云うこころは、人の毀謗をきかず人の不可をいはざれば、よく我が事を成ずるなり。
かくのごとくなる人を家の大人とするなりと。是れ野諺なりといへども、是を取て衲僧の行履に用ゆべし。他のそしりにとりあはず、他の恨みにとりあはず、
他の是非をいはずして、如何んが道を行ぜん。徹骨徹髄の者は是を得べきなり。
十八
示して云く、大慧禅師の云く、学道は須く人の千万貫の銭を價ひけるが、一文をも持たざるに、乞責らるゝ時の心の如くすべし、若しこの心あれば、
道を得ることやすしといへり。信心銘に云く、至道かたきことなし、唯だ揀択を嫌ふと。揀択の心だに放下しぬれば、直下に承当するなり。揀択の心を放下すると云は、
我をはなるるなり。仏道を行じて代りに利益を得ん為に仏法を学すと思ふことなかれ。只仏法の為に仏法を修行すべきなり。縦ひ千経万論を学し得て坐禅の床を坐破するとも、
此の心なくんば仏祖の道を得べからず。只すべからく身心を放下して、仏法の中に置て、他に随ひて旧見なければ、即ち直下に承当するなり。
十九
示して云く、古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る知事に分付して、司を分ち局を列ねて是を司さどらしむと。いふこ丶ろは、主人は寺院の大小の事、
都て管ぜず、只管工夫打坐して大衆を勧むべきゆへなり。亦云く、良田万頃よりも薄芸身に随んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に与へて悔る事なかれ
、囗を守ること鼻の如くすれば、万禍も及ばずと云り。行高ければ人自ら重んじ、才多ければ人自ら帰伏するなり。深く耕して浅くうゆる、猶を天災あり。己を利して人を損ずる、
豈に果報なからんや。学道の人話頭を見る時、目を近づけ力を尽して能々見るべし。
二十
示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすすむべしと。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足をはなちてすなはち身心を放下するが如くすべし。
是に付て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出ぬるに似たれども、其の行履をかんがふればなを実とに出家の遁世にてはなきなり。いはゆる出家と云ふは、
第一まづ吾我名利を離るべきなり。是を離れずんば行道は頭燃を払ひ精進は翹足をしるとも、只無理の勤苦のみにて出離にはあらざるなり。大宋国にも
、離れ難き恩愛を離れ捨て難き世財を捨て、叢林にまじはり祖席をふる人あれども、審細に此の故実を知らずして行ずる故に、道をも悟らず心をも明めずして、
徒らに一期を空く過すもあり。その故は、人の心も初めは道心を起して僧にもなり知識にも随へども、仏となり祖とならん事をば思はずして、
身の貴く我が寺の貴ときよしを施主檀那にも知られ親類眷属にもいひきかせて、大にたふとびられ供養ぜられんと思ひ、
剩へ衆僧は皆な無当不善なれども我れ独り道心もあり善人なる由を方便して云ひきかせ思ひしらせんとする様もあり。是れ等は云ふに足ざるもの、五聞提等の悪比丘のごとし。
決定地獄に落る心ばへなり。これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き大なりと思へり。
此れを少したちいでゝ施主檀那をも貪らず父母妻子をも捨てはて气叢林に交りて行道するもあれども、本性懶堕懈怠なる者は、ありのまゝに懈怠する事も慙かしければ、
長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に触れて怠り徒らにおくるもあり。是は在家にしてさのみ無当ならんよりはよけれども、
猶を吾我名利を捨得ざるなり。亦総じて師の心もかねず首座兄弟の見るをも見ざるをも顧みず、常に思はく、仏道は人の為ならず身の為なりとて、
我身心こそ仏となり祖とはならんと真実に勤め営む大もあり。是は以前の人人よりはまことの道者かと覚れども、これも粐を我が身よくならんと思ひて飢する故に、
なをいまだ鈩扮を離れず。亦諸仏粐麓に随喜せられんことを思ひ、仏果粐勵を成ぜんことを思ふも、甜衒雛称の心なをすて得ざる故なり。此等まではいまだ百尺の竿頭を離れず、
とりっきたるが如し。只身心を仏法になげナ万ヽ更に悟道得法まマをも望む事なく訟笊ヤるを以气是を歹淤尅の衍‥ぺど聡か乞有仏の処にもとゞまることをえず、
無仏の処をも急に走過ナと云ふは、此の心ろなり。
二十一
示して云く、衣食の事は兼てより思ひあてがふことなかれ。若し失食絶烟せば、其の時に臨で乞食せん。その大に用事いはんなど思ひ設けたるも、
即ち物を貯る邪命食にて有なり。納子は雲の如く定れる住所もなく、水の如くに流れゆきて、よる処もなきをこそ僧とは云ふなり。縦ひ衣鉢の外に一物も持たずとも、
人の檀那をも頼み一類の親族をも頼むは、即ち自他ともに縛住せられて不浄食にてあるなり。かくのごとくの不浄食等を以てやしなひもちたる身心にて、
諸仏清浄の大法を悟らんと思ふとも、とても契ふまじきなり。たとへば藍にそめたる物は青く、檗にそめたる物は黄なるが如く、邪命食を以てそめたる身心は即ち邪命身なるべし。
此の身心を以て仏法をのぞまば、沙を圧して油を求るが如し。只時にのぞみて兎も角も道理に契ふやうにはからふべきなり。かねてとかく思ひたくはふるは、皆たがふことなり。
能々思量すべきなり。
二十二
示して云く、学大各知るべし、人人大なる非あり、僑奢是れ第一の非なり。内外の典籍に是を等しく戒めたり。外典に云く、貧ふして諂らはざるはあれども、
富で奢らざるはなしといひて、なを富を制して奢らざらん事を思ふなり。最もこれ大事なり。よくよくこれを思ふべし。我が身下賤にして高貴の大におとらじと思ひ、
大に勝れんと思ふは、僑慢のはなはだしきものなり。しかあれど是は戒めやナし。亦世間に自体財宝に豊かに福分もある大は、眷属も囲遶し大もゆるす。
それを是とし僑るゆへに、傍らの錢き大はこれを見てうらやみいたむべし。人のいたみを自体富貴の大、いかやうにかつゝしむべきや。かくの如き大は戒めがたく、
その身も慎むことならざるなり。亦心に僑心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き大はうらやみいたむべきなり。是をよくつゝしむを偏奢をつIしむとは云ふなり。
我身の富は果報にまかせて、貧賎の大見てうらやむをはゞからざるを、僑心と云なり。外典に云く、貧家の前を車に乗て過ることなかれと。しかあれば我が身朱車にのるべくとも、
貧大のまへをばはゞかるべ七と云云。内典も亦かくの如し。然あるに今の学大僧侶は、智慧法門を以て大に勝べきと思ふなり。必ずしも此を以て僑ることなかれ。
我より劣れる大のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりていひ誹謗するは、是れ僑奢のはなはだしきなり。古人の云く、智者の辺にしてはまくるとも、
愚者の辺にして勝べからずと云云。我れがよく知たる事を人の悪く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり。法門をいふとも先人先輩を誹らず、
亦愚痴矇眛なる大のうらやみねたみつべきところにては、能々是を思惟ずべし。予も建仁寺に寓せし時、大多く法門等を問ひき。その中には非義も過患も有しかども、
此の儀をふかく存じて只ありのまゝに法の徳を語りて、他の非をいはず無為にしてやみにき。愚者の執見ふかきは、我が先徳の非を云とて、かならず瞋恚を起すなり。
智慧ある人の真実なるは、仏法の道理をだにもこゝろへぬれば、人はいはざれども我が非及び我が先徳の非をも思ひしりてあらたむるなり。かくのごとき等の事よくよく思ひしるべし。
二十三
示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり。大宋の人多く得道することみな坐禅のちからなり。一問不通にて無才愚痴の人も、坐禅をもはらすればその禅定の功によりて
多年の久学聡明の人にも勝る亠なり。しかあれば学人は祗管打坐して他を管ずることなかれ。仏祖の道は只坐禅なり。他事に順ずべからず。ときに奘問て云く、打坐と看読と
、ならべて此を学するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出来るなり。坐禅にはそれほどのことの験しもなし。然かあれども猶を坐禅を好むべきか。答て云く、
公案話頭を見て聊か知覚有る様なりとも、それは仏祖の道にとをざかる因縁なり。無所得無所悟にて端坐して時を移さば、即祖道なるべし。古人も看語祗管坐禅ともに勧めたれども、
猶を坐をもはらにすゝめしなり。亦話頭に依てさとりをひらきたる人あれども、其れも坐の功に依りてさとりのひらくる因縁なり。まさしき功は坐によるべし。
正法眼蔵随聞記第六
侍者懐奘編
一
示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし。予在宋の時、天童の浄和尚、侍者に請ずるにいはく、元子は外国人たりといへども器量人なりと云て請ず。
予堅く此を辞す。その故は、和国に聞へん為にも学道の稽古の為にも大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、
大国に人なきに似たりと難ずることやあら、最もはぢっべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ人を愧ることを感じ、許して更に請じ玉はざりしなり。
二
示して云く、或る人の云く、我は病者なり、非器なり、学道にはたえず、法門の最要を聞て独住隠居して身をやしなひ病をたすけて、一生を終へんと思ふと。これは太だ非なり。
先聖必ずしも金骨にあらず。古人豈に咸く皆上器ならんや。滅後を思へばいくばくならず、在世を考るに人人みな俊なるにあらず。善人もあり悪人もあり。
比丘衆の中に不可思議の悪行なるもあり、最下品の器量もあり。しかあれども卑下しやめりなんと称して道心をおこさず、非器なりと云て学道せざるはなし。
今生に若し学道修行せずんば、何れの生にか器量の人となり無病の者と成て学道せんや。只身命を顧りみず発心修行するこそ、学道の最要なれ。
三
示して云く、学道の大、衣食を貪ることなかれ。人人皆食分あり、命分あり、非分の食命を求るとも得べからず。況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり。
常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の営みにあらず。果らと乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ清浄食なり。其の余の田商士工の四種の食は、
皆不浄の邪命食なり。出家人の食分にあらず。昔し一人の僧あり、死して冥途に行く。閻王の云く、此の人は命分いまだつきず、かへすべしと。冥官云く、
命分つきずといへども食分すでに尽く。王の云く、荷葉を食せしむべしと。しかりしよりその僧よみがへりて後ち、人中の食物食することをえず、只荷葉のみを食して残命を保てり。
しかあれば出家は学仏のちからによりて食分も尽べからず。白毫の一相、二十年の遺因、歴劫に受用すとも尽べきにあらず。たゞ行道を専らにして、
衣食を求むべきにはあらざるなり。身体血肉だによくもてば、心も随てよくなると医方等にも見へたり。いはんや学道の人、持戒梵行して仏祖の行履に任て身を治むれば、
心も随て調ふなり。学道の人、言ばを発せんとする時は、三度顧て自利利他の為に利あるべくんば是を云べし。利なからん言語は止まるべし。
かくのごときの事も一度にはゑがたし。心にかけて漸々に習ふべきなり。
四
雑話の次でに示して云く、学道の人、衣食にわづらふことなかれ。此の国は辺地小国なりといへども、昔も今も顕密の二教に名をゑ、後代にも人にも知られたる人おほし。
或は詩歌管絃の家、文武学芸の才、其道を嗜む人もおほし。かくの如き人人未だ一人も衣食に豊かなりと云うことを聞かず・皆貧を忍び他事を忘れてべ一向に其の道を
好むゆえに、其の名をも得るなり。いはんや祖門学道の人は、渡世を捨てゝ一切名利に走らず。何としてか豊かなるべきぞ。大宋国の叢林には末代なりといへども
学道の人千万人ある中に、或は遠方より来り、或は郷土より出たるも有り。いづれも多分は貧なり。しかあれどもいまだ貧をうれへとせず。只悟道の未だしきことをのみ愁へて、
或は楼上、或は閣下に坐して、考妣に喪するが如くにして一向に仏道を修するなり。まのあたり見しことは、西川の僧、遠方より来れりし故に、所持の物なし。纔に墨二三丁もてり。
そのあたひ両三百文、此国の両三十文にあたれるを持て、唐土の紙の下品なる極めて弱きを買ひとりて、襖ま或は袴などに作てきぬれば、
起ち居に破るるおとしてあさましきをも顧みずうれへざるなり。或る人の云く、汝郷里にかへりて道具装束とゝのへよと。答て云く、郷里遠方なり、
路次の間に光陰を空ふして学道の時を失せんことを憂ふと云て、猶更に寒をも愁へずして学道せしなり。しかある故に大国にはよき人も出来るなり。
五
示して云く、伝へ聞く、昔日雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして或は絶烟し或は緑豆飯をむして食して日を送て学道せしかども、後には一千五百人の僧、常に断へざるなり。
昔しの人はかくのごとし。今もまたかくのごとくなるべし。僧の損ずることは多く富貴より起るなり。如来在世調達が嫉妬を起せしことも、日に五百車の供養より起れり。
唯自らを損ずるのみに非ず、亦他をして悪をなさしむる因縁なり。実の学道の人、何としてか富貴なるべき。たとひ浄信の供養も多くつもらば恩の思ひを作して報を思ふべし。
此の国の人は亦我が為に利を思ひて施をいたす。笑ひて向へる者によく与えるはさだまれる世の道理なり。只他の心にしたがはんとしてなさばこれ学道の障りなるべし。
只飢を忍び寒を忍んでー向に学道すべきなり。
六
一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし。亦云く、得ずんば見るべし、見ずんば聞べしと。云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、
未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞べしとなり。
七
亦云く、学道の用心は只本執を放下すべし。まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば心も随ふて改まるなり。先づ律儀戒行を守れば心も随ふて改まるべし。宋土には、
俗人等の常の習ひに、父母に孝養の為に宗廟にて各各聚会し泣まねをするほどに、終には実に泣なり。学道の人も、初めより道心なくとも、
只しひて仏道を好み学せば終には実の道心も起るべきなり。初心学道の人は、只衆に随ふて行道すべきなり。はやく用心故実等を学し知らんと思ふことなかれ。
用心故実等のことも、只独り山にも入り市にもかくれて行ぜん時、あやまりなく能く知たるは好きことなり。衆に随ふて行ぜば道を得べきなり。たとへば船にのりて行には、
我は漕ゆくやうをも知ざれども、よき船師に任せてゆけば知たるも知ざるも彼の岸に至るか如し。善知識に随て衆と共に行じて私しなければ自然に道人となるなり。学道の人、
たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ。道は無窮なり。悟りても猶行道すべし。むかし良遂座主の麻谷に参ずる因縁を思ふべし。
八
示して云く、学道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ。たゞ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり。爰にある在家人、長病せしが、
去年の春のころ予にあひちぎりて云く、当時の病ひ療治せば必定妻子を捨て寺の辺に庵室をかまへむすんで、一月両度の布薩にあひ、日日行道法門談義を見聞して、
随分に戒行を守りて生涯を送らんと云ひき。その後種々に療治せしに依て少き減気あり。しかれども亦再発ありて日月空くすごしき。今年正月より俄に大事になりて、
苦痛次第にせむるほどに、日来支度する庵室の道具をはこびて作るほどのひまもなき故に、先づ人の庵室をかりて住せしが、わづかに一両月の中に死し去りぬ。
前夜に菩薩戒をうけ三宝に帰して臨終よくして終りぬれば、在家にて妻子に恩愛を惜み狂乱して死せんよりは尋常ならねども、去年思ひよりたりし時に在家を離て、
寺にちかづき僧になれて行道しておはりたらば、すぐれたらましと存ずるにつけても、仏道修行は後日を待まじき事と覚るなり。身の病者なれば病ひを治して、
後より修行せんと思は無道心のいたす処なり。四大和合の身は誰か病無からん。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。
大事身の上に来れば必ず小事を忘るゝ習ひなり。仏道は一大事なれば、 一生に窮めんと思ひて日日時時を空しく過ごささじと思ふべきなり。古人の云く、
光陰虚く度ることなかれと云云。病を治せんと営むほどに除かずして増気し苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に行道せんと思ふべし。
強き痛みを受ては尚を重くならざるさきにと思ふべし。重く成ては死せざるさきにと思ふべきなり。病を治するには減ずるもあり増ずるもあり。亦治せざれども減じ、
治するに増ずるもあり。これを能能思ひ分くべきなり。行道の人、居所等を支度し衣鉢等を調へて後に行道せんと思ふことなかれ。貧窮の人、
衣鉢資具にともしくして調ふを待ほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん。ゆへに居所を待ち衣鉢を調へて後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり。
只衣鉢等はなけれども、在家も仏道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり。亦衣鉢等は只有べき僧体のかざりなればなり。実の仏道行者はそれにもよらず、
より来らば有るに任すべし。あながちに求ることなかれ。有ぬべきを持じとも思ふべからず。病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見なり。
仏道の為には命を惜むことなかれ。亦惜まざることなかれ。より来らば灸治一所煎薬一種なんど用ひん事は、行道の障りともならじ。行道をさしおきて、
病を治するをさきとして後に修行せんと思ふは非なり。
九
示して云くヽ海中に竜門と云ふ処ありてヽ洪波しきりにたつなり。諸の魚ども彼の処を過ぬれば、必ず竜となるなり。故に竜門と云なり。いま思ふ、彼の処洪波も他所にことならず、
水も同くしわはゆき水なり。然れども定まれる不思議にて、魚ども彼の処を渡れば必ず竜と成る。魚の鱗もあらたまらず、身も同じ身ながら、たちまちに竜となるなり。
衲子の儀式も亦かくのごとし。処も他所にことならねども、叢林に入りぬれば必ずしも仏と成り祖となるなり。食も人と同く喫し、衣も同く服し、飢を除き寒を禦ぐことも斉しけれども、
只髪を剃り袈裟を着して食を斎粥にすれば、忽ちに衲子と成るなり。成仏作祖、遠く求むべきにあらず。只叢林に入ると入ざるとは、彼の竜門を過ると過ざるとの別の如し。
亦俗の云く、我れ金を売れども人の買ふなしと。仏祖の道も亦かくのごとし。道を惜むにはあらず、常に与ふれども人の得ざるなり。道を得ることは根の利鈍にはよらず。
人人皆法を悟るべきなり。精進と懈怠とによりて得道の遅速あり。進怠の不同は志しの至ると至らざるとなり。志しの至らざることは無常を思はざる故なり。念念に死去す、
畢竟じて且くも留まらず。暫く存ぜる間だ、時光を空くすごすことなかれ。古語に云ふ、倉にすむ鼠み食に飢へ、田を耕す牛草に飽かずと。云心は、食の中にありながら食にうえ、
草の中に住しながら草に乏し。人もかくのごとし。仏道の中に有りながら道にかなはざるものなり。名利希求の心止まざれば、一生安楽ならざるなり。
十
示して云く、道者の行は善行悪行につき皆おもはくあり。凡人の量る所にあらず。昔し慧心僧都、一日庭前に草を食ふ鹿を、人をして打ち追はしむ。時に或る人問て云く、
師慈悲なきに似り、草を惜みて畜生を悩ますか。僧都の云く、しかあらず、吾れ若し是を打ち追はずんば此の鹿ついに人になれて、悪人に近づかん時は必ず殺されん。
この故にうちおふなりと。これ鹿を打追は、慈悲なきに似たれども内心は慈悲の深き道理、かくのごとし。
十一
一日示して云く、人ありて法門を問ひ、或は修行の法要を問ことあらば、納子はかならず実を以て是を答べし。若は他の非器を顧み、或は初心末学の人にて心得べからずとして、
方便不実を以て答ふべからず。菩薩戒の心は、縦ひ小乗の器ありて小乗の道を問ふとも、只大乗を以て答ふべきなり。如来一期の化儀も亦同じ。方便の権教は実に無益なり。
只最後の実教のみ実に益あり。しかあれば他の得不得を論ぜず、只実を以て答ふべきなり。若し箇中の人を見ば、実徳を以て是を見るべし。外相仮徳を以てこれを見るべからず。
昔し孔子に一人あり、来て帰す。孔子問て云く、汝ぢ何を以てか來て我に帰するや。云く、君子参内の時此を見しに、ぎょうぎょうとして威勢あり、故に帰す。
ときに孔子弟子に命じて乗装束金銀財物等を取出して此を与へて、汝は我に帰するにあらずと云てかへせり。亦云く、宇治の関白殿、ある時鼎殿に到て火を焚所を見玉へば、
鼎殿是を見て云ふ、いかなる者ぞ案内なく御所の鼎殿心入ると云て、追出されて後関白殿先の悪き衣服等をぬぎかへて、ぎょうぎょうとして装束して出たまふ時、さきの鼎殿、
はるかに見て恐れ人てにげにき。時に殿下、装束を竿の先にかけ拝せられけり。人これを問ふ。答て云く、吾れ他人に貴びらるること我が徳にはあらず、只此の装束ゆへなりと云へり。
おろかなる者の人を貴ぶことかくのごとし。経教の文字等を貴ぶことも亦かくのごとくなり。古人の云く、言とば天下に満れども口過なく、行天下に遍けれども怨害なしと。
是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり。是れは至徳要道の言行なり。世間の言行も私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過のみあらん。柄子の言行は先証是れ定れり。
私曲を存ずべからず。仏祖行じ来れる道なり。学道の人各各自ら己身を顧るべし。身を顧みると云は吾が此の身心いか様に持べきぞと顧るべし。然るに納子はすでに是れ釈子なり。
如来の風儀を慣ふべきなり。身口意の威儀は先仏行じ来れる作法あり。各各其の儀に随ふべし。俗すら猶を服は法に応じ、言は行に随ふべしと云へり。
況や柄子は一切私を用ふべからず。
十二
示して云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先づ能く領解する由を知られんと思ひ、答の言ばのよからん様を思ふほどに、聞くことばが耳を過すなり。総じて詮ずる処、
道心なく吾我を存ずるゆへなり。只須く先づ吾我を忘れて、人の云はんことを能く聞得て後に静に案じて、難もあり不審もあらば追ても難じ、心得たらば重て師に呈すべし。
当座に領ずる由を呈せんとするは法を能も聞得ざるなり。
十三
示して云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ぜり。帝これを得て喜ばずして自ら謂へらく、縦ひ我れ独り千里の馬に乗て千里を行とも、随ふ臣なくんば其の詮なきなりと。
故に魏徴を召して此を問ひ玉へば、徴云く、帝の心と同じと。依て彼の馬に金帛をおほせて返さしむ。世間の帝王だにも無用のものをば畜へたまはずしてかへせり。
況や納子は衣鉢の外は決定して無用なり。無用の物是を貯てなににかせん。俗すら猶を一道を専らに嗜むものは、田苑荘園等を持することを要とせず。
只一切国土の大を百姓眷属ともするなり。相法橋遺嘱子息、たゞすべからく当道をもつぱらはげますべしと云へり。況や仏子は万事を捨て専ら一事を嗜むべし。
是れ第一の用心なり。
一四
示して云く、学道の人、参師聞法の時に、能々極めて聞き重て聞て決定すべし。問ふべきを問はず、云ふべきを云ずして過しなば、必ず我れが損なるべし。
師は必ず弟子の問を待て言を発するなり。心得たることをもいくたびも問て決定すべきなり。師も弟子に好く心得たるかと問て、云ひきかすべきなり。
十五
示して云く、道者の用心は常の人に異ることあり。故建仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき。時に一人の檀那、僧正を請じて絹一疋を施す。
僧正歓喜して人にももたしめず、自ら取て懐中して寺に帰て知事に与へて云く、明旦の浄粥等に作すべしと。然るに有る俗人の所より所望して云く、
愧がましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す。僧正即ちさきつかたの絹を取返してすなはちこれを与ふ。
時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり。後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん。然れども吾が思はくは、衆僧は面々仏道の志し有て集れり。
一日絶食して餓死するとも苦しかるべからず。世に交れる人のさしあたりて事欠る苦悩を扶けたらんは、各の為にも利益すぐれたるべしと云へり。
まことに道者の案じ人たることかくの如し。
十六
示して云く、仏々祖々、皆な本は凡夫なり。凡夫の時は必しも悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、痴もあり。然あれども尽く改めて知識に随て修行せしゆへに、
皆仏祖と成しなり。今の人も然あるべし。我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ。今生に発心せずんば何の時を待てか行道すべきや。
今強て修せば必ずしも道を得べきなり。
十七
示して云く、帝道の故実の諺に云く、虚襟に非ざれば忠言をいれずと。云心は己見を存ぜずして忠臣の言ばに随て道理にまかせて帝道を行はるゝなり。
衲子の学道の用心故実も亦かくのごとくなるべし。わづかも己見を存ぜば、師の言ば耳に人ざるなり。師の言ば耳に入ざれば、師の法を得ざるなり。
只法門の異見を忘るゝのみにあらず、世事及び飢寒等を忘れて一向に身心を清めて聞く時、親く聞得るなり。かくのごとく聞く時は、道理も不審も明らめらるるなり。
真実の得道と云は、従来の身心を放下して只直下に他に随ひゆけば、即まことの道人となるなり。是れ第一の故実なり。
終